双極性障害・ASD・ADHD

生活上の双極性障害への工夫について

不安、動悸がする、やらかしエピソード

 

最近、いろいろあって、不安がひどい。

心臓もバクバクするのが続いている。今週は病院に行くのでそれを相談したい。

でも、よくなったことがいくつかある。

 

  1. ものにぶつかりにくくなった。
  2. 片付けができるようになった
  3. 掃除ができるようになった
  4. 勉強ができるようになった
  5. やらかしエピソードが減った。

躁鬱病の病状の変化について

5以外は、コンサータのおかげだと思う。

今は、慣れてきたのか、最初のインパクトの強い効果を感じることはないが、生活は落ち着いている。勉強ができるようになった。つまり、頭がよくなった。

集中して、何かを理解できるということは、頭がよくなったということだと言われてうれしかった。

 

5は、ラモトリギンを飲んでいるおかげだと思う。人に急に連絡を取ったり、大きなことを言ったり、買い物をしすぎたり、ということがなくなった。逆に言うと、大きなことを言ったり、自信過剰になったり、人との距離を詰めすぎたりしたのは、双極性障害の症状だったのだ、とわかった。

これはかなりの衝撃を伴う発見だった。そして、過去の自分が急に疎ましく、そして、今までかかわった人々に申し訳なく感じた。

 

それでも、今もかかわってくれている人がいてありがたい。

過去を振り返って。じぶんをいじめるのではなく、今を感謝して、未来を謳歌して暮らしたい。

 

自分の病気が性格や人格に及ぼす影響が大きくて、戸惑う。これまで、自分を嫌だなと思うことはよくあったけれど、それは、病気のせいだったのだ。人を困惑させて、困らせて、それを自分で読み取ることができるのに、言動を改めることができなかったのは、そういうわけだったのかと。

逆に言えば、病気をコントロールできれば、そうした迷惑を生じさせなくて済む。

今まで迷惑をかけた相手も、うんざりしたら、わたしから手を引く自由があったわけだから、それほど大きな迷惑をかけていないと思いたい。

 

こんなことを言ってはいけないかもしれないけれど、わたしも迷惑をかけられたこともあるし、一方的な関係は、親子を除いてあまりないはずだから、一方的に迷惑をかけ続けたことはないんだと思いたい。

 

うつと躁の切り替えは早く、相変わらず、一日二日、体が重くて起き上がれないかと思えば、次の日は羽が生えたように軽くなる。

 

ネットで躁鬱のことを調べると、必ず、ラピットサイクラーにならないように、と書いてある。それを見ると憂鬱になる。そんなに避けなくてはいけないほどのことなのに、もうなっちゃっているよ!と。

 

それにしても、そうまでして避けなくてはならないラピットサイクラーってなんだろう。何がダメなんだろう?病気をダメだと言われているわけじゃないんだとわかるけど、思い込みが激しい期(うつのとき)に気になってしまう。

二つの極を行ったり来たりすると疲れるからかな。

 

ラピットサイクラーも悪いことばかりじゃないと言いたい。一日二日我慢したらその状態は変わると思えることはよい。

 

 

躁鬱混合状態に金曜日から火曜日になったけれど、躁鬱混合だなと思って、刺激を抑えて過ごしたら収まった。

これは、睡眠時間の記録を付けていたおかげでわかった。睡眠時間が少ない時は、そう状態がベースにあること。睡眠時間が短いのに、気落ちして体が動かないのは、躁鬱混合だ。これに対しては、死なないようにするために、刺激を減らすことで対処するしかない。

躁鬱混合になるきっかけはよくわからない。今後、研究していきたい。

 

大事なのは、自分の病状を理解して、コントロールすること、今どういう状態か把握するために、記録を付けること。

ケア会議

一週間前に、ケア会議もあった。

死にたいと言って包丁を出してしまうこともあるし、料理をするのが難しい時もある、ということを話した。でも、できることは増えていて、水回りの掃除ができるようになったとも話した。

 

 

やっぱり、話している間に気持ちが高ぶって泣いてしまう。

保健師さんも同席してくれたので、いろいろ細かいことを筋道だって質問しれくれたので、話しやすかった。

 

体のケア

ベースになるのは体だ。体調をよくするために、こまめに病院に通うことにした。

正直に言えば面倒だけど、でも、疲れたり風邪をひいたりすると、躁鬱も悪くなるので、躁鬱コントロールのうちだと思っている。

耳鼻科や歯科に通って、自分のメンテナンスをしている。だいぶ暮らしやすくなったと感じた。鼻の通りがよくなると、頭の回転がよくなったような気持になる。歯は、三十過ぎたら歯周病のケアをしなくてはならないらしく、こまめに通っている。

美容

アレルギーも、皮膚科に通って治療している。最近は、美容液とヘアオイルのかぶれていた。ちょっと高級だと、アーモンドオイルやヘーゼルナッツオイルなど、ナッツ系のオイルが入っている。

それがダメだ。

安物はミネラルオイルなどの石油からできた合成油だから、そういうののほうが素材として安定しているので、安心して使える。化学ばんざいだ。

それに、安物のほうが、商品開発に努めているので、随時ブラッシュアップされているという意見を見たが、その通りだと思う。

化粧品も、プチプラをこまめに買い替えたほうが、肌に良い気がする。そもそもデパコスにかぶれたことはあっても、プチプラでかぶれたことはない。

今は、いっそのこと、今まで使っていた化粧品を全部捨てて、プチプラに買い替えようかと悩んでいる。すぐ消費期限が来ちゃうんだよね。化粧品ってなかなか減らないし。肌荒れしたら、美容どころじゃないし。躁鬱が二巡しても気持ちが変わらなかったら捨てよう。

 

いつ、重要な判断をするか

よく、うつや躁鬱だと、重要な決断をしないほうがいいと書いてある。

でも、自分の状態がどうあれ、決断しないといけない理由が外部からやってくることもある。そうしたときには、決断をせざるを得ない。

 

自分の人生を生きて、自分でかじ取りをしたいのであれば、決断したほうがいい。自分の病気は緩解すれども治らない。緩解するまでいろいろなことが待ってもらえればいいけど、刻一刻と時間は過ぎていく。その間の人生を、空白にしたくない。

病気だけに向き合って何年も過ぎたら、何のために生きているんだろうと思う。

わたしは、病気があっても、自分自身の人生を歩みたい。そういう強い希望がある。

そのために、やらかしエピソードは増えていく一方で、自分を傷つけることも多い。だけど、重要な決断を求められる時って、健康な人でも平静ではないはず。

だから、病気を理由に決断をしないで流れに身を任せるのではなく、選び取っていきたい。

 

そうはいっても、時間をかけて、躁の時と、うつの時と、決断が変わらないか確かめることはしたい。とくに、人を巻き込んだり、かかわったりするときには、気を付けたい。

 

やらかしへの悩み(対人編)

大きな決断ではないけれど、わたしがよくやらかしてしまって、あとで後悔する。人に何かをもらってもらうとき、それは本当にあげても失礼にならないか、とか。なにかしてもらうとき、するとき、相手の負担になっていないか、とかそういうことを十分に考えていないで、勢いだけでしてしまって、迷惑をかけて、交流が切断してしまうことが多い。許してもらっても、気まずくなって、謝っても謝り足りないのではないかと思って、うざい存在になる。お医者さんが「自責しすぎると人は厄介な存在になる。人の話を聞かなくなるから」と言っていたが、その通りだと思う。

反省すれども、自責なし」これを座右の銘に刻んでおきたいくらいだ。

 

自分でも何年も後悔する。

そういうことを、やらかしたあとに考えて時すでに遅し、となることが多いので、事前に、そこは十分に考えて行動したい。できれば、今後は、人に何かをもらってもらうときには、金券だけしか送らないようにしていきたい…。

あとは、ある程度、自分はやらかしてしまうのだ、と割り切って、それでも交流してもらえる相手とだけ、交流して、やらかしてしまったときには、誠心誠意謝る、ことくらいしか対策が思いつかない。

 

私はうつ状態のほうが躁状態よりも楽だと思うのは、やらかし度が少ないからだ。

うつのほうが苦痛は大きいけれど、やらかすよりもましだ。

躁状態の時、対人以外のやらかし、例えば、買い物をしすぎるのは、家計にダメージがあっても、人間関係にひびが入らない。そっちのほうがましだ。

 

人に対してやらかさないためには、人と関わらないのが一番いいけれど、それはそれでだめだから、人との適切な距離を取りたい。今は下手だけどいつか適切な距離が取れるはずだ。