双極性障害・ASD・ADHD

生活上の双極性障害への工夫について

8月の目標は人格を安定させること

月に一回の診察でした。

今回は、子供が手足口病の疑いのある発熱と口内炎を発症して、受信日を変えてもらいました。

 

 

今月の目標:人格を安定させる

「同じことを言われても今日はにこにこしていたのに明日は激怒するとなると、あなたがどういう人なのか全く分からなくなってしまうから、心の中でいろいろ思っていろいろな面があるのはいいし、当然なんだけど、表に出ている人柄は、一定していないと、周りもどう扱っていいのかわからない。

だから、人格のコンダクター(指揮者)を用意して、人格を維持することに努める。

別人にならないようにする。今日はパーカッションがうるさいし、弦が静かすぎるということがあってもいいんだけど、今日はベートーベンの第三をやっているとか、何を演奏しているかというのがはっきりしていないとダメ。人が聞いて第三をやっているくらいの何をしているかがわかるようにしないと、周りがどう対応していいのかわからなくなる」

と言われたので

「自分の人格がこうである、というのが確かにはっきりしない。人にこうだ、と言われると、ああそうなんだ!とうのみにしまうし、人が親切にしてくれると、裏があるとは思わないで信じてしまう。

自分でも自分がどういう人間なのか、どういう人と思われているのかわからない。

水のシミみたいな気がする。水が形がなくぐにゃぐにゃしているみたいな気がする。シミがあると同じ形に染み付くみたいなくらいしか、人格が安定していないと思う。自分で自分がどうなのか全然わからない。自分がこういう人であるとはっきり言えない。

「自己紹介できるくらいの人格の輪郭がはっきりできればいい」と言ったら面白い表現だと感心してもらった。

 

「今は、自己紹介するほど人格がはっきりしない。自分でも統合失調症かと思うくらい人格が安定しないことがあった」

という話をした。

調子のいかんにかかわらず、人格を安定して表出させていくことを今月の目標にしようと思った。

 今は、人からは、明るく朗らかな人だと思われている……と思う。

それと、まじめ、とは言われる。あと、神経質なところと突然雑になる部分が混じっているとも言われたことがある。自分としては、気分の変調を外に出したくないと思う。

別人のようになるのも嫌なんだけれど、外に出すことで、自分の感情がより一層引きずられてしまうのが嫌だ。

 保留をする

先月の目標では一般化しすぎない、ということについて書いた。

 

c71.hatenablog.jp

 わたしは、うまくいかないと「あー全部だめだ死ぬしかない死のう死にたい何もかもうまくいかないのは私が悪いからでしょ」と言ってぐちぐちいう習慣があるのだけど、ぐちぐちいっても、何も改善しないから、やめようという話でした。

人に嫌われたからって全人類に嫌われていると思うのもやめるべき。

そして、一番大事なのは「嫌われていい人はいるしそういう人は嫌い返せばいい」ということです。

大事なのは家族だからそれを守るために嫌われるのは構わない。

 

嫌われたほうがいいくらいの人もいるんだから自分を守るためには、嫌われちゃっていい。それを恐れて、物事を解決しないほうがまずい。

 

今月の目標は、保留をするということ。保留をすることで、落ち着いて考える。対処するべきことと対処しなくていいことを分ける。

また、時間を置くことで、感情的になることを防ぐ。

自己憐憫におぼれて、現実的に解決しないといけないことから逃げると、事態が悪化するから、自分に都合悪い問題を解決するために集中しないといけない。

そのためには、自己憐憫も感情に流されるのもしないほうがいい。

感情に流されないというのは、訓練次第でできそうだ。

感情のスイッチを押さない、感傷的にならない、昔のことを懐かしまない。今を生きる!

 

情報に飛びついて、すぐに決めると、困るので、わからないことは保留する。

いろいろなことが浮上しては消えるけど、忘れることはそんなに重要じゃないこと。覚えているのは大事なこと。たいていのことは保留して、忘れても大丈夫なこと。

それができると、せかせか落ち着かない、焦燥感に襲われるということが減るはず。それが人格の安定につながるといいな。

 

 

人を疑う

人を簡単に信じるから危なっかしいと言われました。自分でもそう思う。騙されやすい。

 

人に親切にされるとこの人はいい人だとたやすく思うし、人が、荒唐無稽なことを言っていても、自信がありそうに見えるとそうなのかーと思っちゃう。

だから、いい意味で人を疑うことを覚えようと言われました。信じそうになったら一呼吸を置く。保留する。

これは、とても心配されているので、気を付けようと思う。

 

過集中と疲労

先生と話しているとき、集中して話を聞こうと思っていたら、先生の姿が網膜に残って、ぴかぴか光っているみたいになって、まぶしくなり、言葉の意味がバラバラになったのでそのことをそのまま言ったら、「それは疲労じゃない?」と言われてそうかーと思った。

「体力と集中力の限界で、話が聞けなくなった。それは、人によっては上の空だったり眠くなったり飽きたということで表現されるけど。意味が取れなくなった=聞けなくなった、ってことだから、疲労と同じじゃない?過集中かもしれないけど」と言われた。

そうか、それはあきらめるしかないなと思った。

 

人の話をできるだけ覚えていたいけど、覚えられない。

「記憶力は悪いほうじゃないと思うけど」とのことだった。

人格が安定しないし、気分は変調するし、いいところがなくて自分てくずだなと思ってどんどん卑屈になるという話をした。

「どうしてそう思うの?」と聞かれて答えられなかった。

答えられないことが自分の答えだなと思った。つまり、くずだと思う必要はない。特に理由がないんだから。

だから、

「変な人だけど魅力がある」くらいを目指しておこうかなと思った。

「病気は病気としてあるけど、それとあなたの人格や個性はイコールではないし同じ病気の人でも全然違う病気の表現の仕方がある。だから、病気のことで、自分の個性が消えちゃってるとか思う必要はないよ」と言われた。

「あと、魅力のある人になろうと思いすぎてあざとくなっても疲れるし、結局好かれはしないし、だから、結果的に魅力のある人になれればいいねと思うほうがいいよ。だって、魅力ある人になるってどうやるのかわからないじゃない?」と言われて

「とりあえず勉強しておこうと思います。勉強は面白いし」と答えた。

「生徒さんに小論文の人みたいって言われたのでそういう方向で考えます」

「小論文の人みたいって?」

「たぶん、起承転結を付けてしゃべって、内容が小論文観たなことを言うからだと思います」

「それはそれですごいと思うけどね」という会話もした。

今回気づいたこと

→以下は先生からのコメント

三日に一度くらいで躁鬱が転換する。

→先生からは、ペースが忙しいとのコメント。

疲れたり暑いと鬱に入る。

→鬱に介入して、「鬱をほどほどにしよう」というのは難しいから、「躁になったから、ルールを守ろう」という風にして、疲れすぎないようにする。躁が高いと鬱がひどくなるので、お金を使わない、情報や刺激に飛びつかない、人に会わない、家の中にいる、などの工夫をするといいよ、とのこと。

でも、「ルールを守れないし、お金を使ってしまうから困っている」と言ったら、まあそうなんだけど鬱の時に元気出すよりはやりようがあるからさ、とのことだった。

まあね、それができたらいいんだけどそれができたら苦労はしないっていうか。すぐになんとかできないから障害なのかそうなのか。それでも時間がかかっても改善するように努力しよう。

 

躁になると睡眠時間が短くなるのでそれを目印にしているが、爽快感はなく、ぐじぐじと考え込んでしまう。

→これは躁ではない。躁っていうのはすっきりしていてさわやかで何でもできると思ってかっとんでいるときだから焦燥感があったり、切迫感があるのは躁じゃなくて鬱だね、と言われた。もっと誇大妄想的なのが躁状態って定義だからそれは混合状態だね、とのこと。

 

 

結論

今回は、ルールを定めて、躁の時にルールを守る。

高く浮かび上がりすぎない。人格を安定させる。

刺激に飛びつかない。刺激を遮断する。

すぐに決めなくていいことは保留する。

 

ということに気を付けて生活したいなと思った。

 

 

最近は、子供が手足口病の疑いがあって、看病に必死で、勉強や、ブログ、ゲーム、映画鑑賞などがあまりできなかったので、そういうこともしたい。

子供は、最近、お手伝いをしてくれる。おもちゃ箱のものを全部ぽいぽい出すのがブームらしいけど、それを片付けていると、手伝ってくれる。そしてまたぽいぽいしてくれる。うんざりするけど、毎日笑いが絶えない。これはいいことだと思う。

自分が幸せだと思い込んでいるうちに、幸せになるだろうから、ぐちぐちぐしょぐしょ泣き言を言って、周りを悲しい顔にするのをやめたい。わたしが楽しそうだとみんな安心して楽しくなるだろう。