わたしが二十歳になったとき、今の主治医と出会った。
わたしは主治医に、
「お父さんやお母さんは、そういうものだとしても、他の人から少しずつお父さんやお母さんの成分をもらうといいよ」
「僕は有料の時間制限ありのお父さん成分の仕事だよ」
と言ってくれた。
診察の度に、
お母さんはひどい、お母さんは素晴らしい、お母さんはこういうことをいった、ということばかり話した。
自分がどうしたい、どう思っている、ということを思い付かなかった。
波乗りのように、乗りきるだけだった。
二十九歳のときに、死にかけるような事件が遭って、助けを求めた母に
「ご勝手に」と言われて電話を切られたときにようやくわたしの人生が始まった。
心配して電話をくれたのは母方の祖母だけで、彼女も一年後に亡くなった。
葬式の知らせも来ず、呼ばれなかった。
そのとき、わたしは父の世話になっていたが、出ていってほしいと言われて、出ていった。
金銭的な支援をしてもらったが、父方の人間関係は複雑で、愛人から妻になった義理の母とは、最初は仲良くやれたものの、
会うと動悸がするから、来ないでほしい、と言われたことや、父に言われたいろいろなことで、気持ちが折れてしまってからは会っていない。
わたしにとって、パートナーは父の成分と母の成分を持つ人だ。
もちろん、恋人でもある、家族でもある。
常に父をやってほしい訳じゃない、でも、いつも受け止められている。
わたしは弱いけど強く、行き当たりばったりで、でも嫌なところから逃げる力は残っている。
パートナーと出会ったその日から一緒に暮らして、ずっと仲良しでいられるのは、運が良かったのだ。
出会ったときのパートナーは貧しかったが、そのときわたしはそこそこお金を稼いでいたので、なんとかなると思った。
その後、からだを壊して、仕事をやめてからは、パートナーの世話になっている。
二人でかわりばんこに、互いのことを補っていきたい。
わたしには親はいないと思っているけど、優しい人たちから、愛みたいなものを分けてもらっているから、だから生きていられる。
生まれてくる子が、もし、わたしと合わなくても、きっとなんとかなると思う。