恥を忍んで書くのだけど、わたしは、金銭管理に問題がある。
理由はわからなかった。
しかし、昨日、筋が通る説明ができた気がする。
昨日の夜、パートナーに、相談があると切り出した。
わたしの金遣いの問題について、相談したのだ。
わたしは、お小遣いをもらっている。しかし、いつも、その日のうちに使い果たしてしまう。
以前、彼と出会う前から、お金を使い果たしてしまっていた。
お金を使っているのは、楽しいはずなのに、いつも、苦しかった。
どうして、ほしいものを買っているのに、苦しいんだろうか、と問題意識を初めて持った。
今までは、使ってはいけないのに、使ってしまう、というところを問題だと思っていた。
しかし、昨日は、「自分が苦しみながら散財している」というところを問題とした。
どうせ、使うなら、楽しく使いたいのではないか。
パートナーの観察によると、必要なものについては、合理的な判断を下している。無駄遣いはしていない。
また実店舗で買い物をしていて、ほしいものがあっても、似たものがあったり、値段や素材が折り合わなかったりした時には、ちゃんと判断して、買うかどうか、決めることができている。
しかし、ネット通販に関しては「同じ種類」「同じ価格帯」で、少しだけ差異があるものを延々と買っている、という指摘があった。
そして、彼がつけている、わたしの観察日記によると、小遣いをもらう四日前から必ず調子を崩しているということもわかった。
もしかすると、わたしにとって、お小遣いをもらうことはプレッシャーではないのか、という結論が出た。
実際、小遣いを使い果たしてからは、買い物をしたがることもなく、調子もよくなる。
そういえば、以前は買い物で非常に緊張し、必要なものも「失敗してしまったらどうしよう」と思って、買い物が苦痛だった。
それから、今は、買い物をしすぎてしまうのは、その反動だったのかと思っていた。
しかし、そうじゃなくて、相変わらず、失敗しない買い物をしなくてはならない、と思い詰めていたのではないか。
それで、ネットで、調べつくして、買い物をするものの、その調べている最中に見たものの、細かい違いが気になって、コンプリートしなくてはならないと思い詰めて、買い集めてしまうのではないか、という話になった。
完ぺき主義というのか、なんというのか、わからないが、調べて、条件に合ったものを全部そろえることで、失ったときのスペアを持っていたい、そういうような気持があったみたいだ。
お金を持っていると、不安になるから、早く手放してしまいたい、お金がなければ、買い物をしなくて済む、調べなくて済む、そういう気持ちだったみたいだ。
そこで、買い物をするとき、自分で決算するのではなくて、パートナーに頼むことにした。
直接支払いをするのではなくて、ワンクッション置くことで、心の安定を目指す。
小遣いの額も減らして、使い切るのを楽にする。
金額の多寡によって、満足度が変わることがないこともわかった。
それよりも、使ってしまう不安、使ってしまわないといけないような気持ち、その衝突を避けるほうが大事で、そのためには、金額が少ないほうがいいのだ。
実店舗の買い物は、割高であったり、品数がネット通販によって少なかったりするが、実際に素材や形を確かめられるという利点がある。
だから、ネット通販でしか手に入らないもの以外は、なるべく、二人で買い物をしようということになった。
本来、買い物は楽しいものだ。わたしも、そう思い込んでいた。だから、わたしは、自分が買い物のことで苦しんでいることに気づかなかった。
自分でお金の管理ができないのは、悲しい。
一人で生きていけないんだ、という気持ちになる。パートナーがいなければ、金銭管理一つできないのだ。
しかし、幸い、彼は、金銭管理ができる。
頼りっぱなしで、悪いと思う。破れ鍋にとじぶた、というが、彼は壊れていないんじゃないか、足手まといなんじゃないか、という気がしてしまう。
でも、とにかく、今は、苦しいことを取り除くことが先決だ。そのために、お金を使うことをできるだけ遠ざける。
最期までやり通す、という特性が、こんな風に、買い物依存に結びつくとは、自覚していなかった。自覚していないだけで、まだまだ、わたしが苦しい思いをしていることはあるんだろう。
人生は幸せに過ごすためにあるものだ。だから、むやみに買いたいものを我慢することもないけれど、買い物をしないといけないと思い詰めてすることも、苦しい。
将来のためにお金をためるのは、きっと楽しいだろう。
将来、子供に迷惑をかけないようにするために、また、新しく工夫ができる。
買い物の問題について、一つの試すべきことができたのはうれしい。
今まで、問題を感じていたけれど、本質を抑えることができていなかったから、手立てが全部的外れだった。
我慢が足りないと思っていたから、ひたすら我慢して、でも、そのせいで精神状態が悪くなっていた。
一度決めたことをやり通す、という特性は、あらゆる場面に出てくる。
過食症もその一つだ。
最期まで食べないといけないと思って、食べ過ぎる。
同じものを毎日ひたすら食べてしまう。
わたしが、酒や、ドラッグの依存症にならなかったのは、すべて、精神科医の適切なアドバイスのおかげだ。
彼は問題行動を止めなかった。その代わり、ずらすことを勧めてくれた。
「工夫」という言い方をした。
同じものを食べ続けてしまうことは変えられなくても、それを野菜やたんぱく質の豊富なものに変える、とか、続けることに執着するのだから、運動や筋トレ、散歩を進めるだとか、続けても安全なものにスライドするように、提案してくれていた。
毎日コツコツすることで、破滅してしまうことと、よい方向に「努力」となることとあって、わたしはどちらにも、同じように動いてしまう。
適切な方向に、特性を振り分けることができたら、特性を生かせる。特性を封じ込める努力をしなくていい。いい特性と、悪い特性があるわけじゃなくて、特性には両方の面がある。いい面を引き出せるように「工夫」することが大切だ。
そして、何が困っているのかは、自分で自覚できないから、相談相手が必要だ。
家族が、やみくもに「禁止」を強制するタイプじゃなく、柔軟に話を聞いてくれ、分析を手伝って、どうしたらいいか、考えてくれる人で助かった。
どうしても、依存について、考えていると、自分が人としてダメなのだと、考えが落ちていってしまうけれど、こうして、善後策を考えられたのはいいことなのだから、そっちをより感じていたい。