双極性障害・ASD・ADHD

生活上の双極性障害への工夫について

親には孫を見せない

ざまあ、ざまあ、と思う時もある。そして、見せないと悪いかなと思う時もある。

後者のことを考えた後は過呼吸になるので、想像しただけで無理なのに、会ったらどうなるんじゃ、と思ってやめる。

 

 

わたしがひどいんじゃなくて、わたしがそうせざるを得ないように接してきたあの人たちが悪いんだ。

自業自得。

十歳の時までしか一緒にいなかったのに、介護してもらう気は満々の父親とか、何をしても「だから言ったでしょう」としか言わない母親とか、人に近づくすべはうまいのに、そのあとは、人の時間を盗んでいく人たち。

 

 

実生活では、気の合う人としか会わないから、どんどん、世間的なことから疎くなって、例えば、いまだに、ネットでは「子持ち、旦那もち、仕事もちの女性が勝ち組」と思っている人がいると、とっても新鮮に驚く。

そしたら、わたし、勝ち組に入るんじゃないですか、やだー。

全然そうじゃないけどね。わたしは、わたしの価値観としては、今の状況はとっても幸せだけど、誰かに勝つとかそういうことは思わない。というか、比べたら幸せじゃなくなっちゃうし。

 

 

とはいえ、誰と比べなくても不幸だ、という状況もさんざんあったから、「人と比べるから、不幸になるんだよ」ということを言いたいのではない。

誰とも比べなくても純粋に不幸だという状況はいっぱいある。

 

 

親は、自分でできることはしたんだから、いいんじゃないかな。孫は、なんだろう、おまけみたいなものだよね。

だって、親自身には孫を産めないもん。

わたしは別の人間だから、自分の子供を産むことはできるけど、親のために産むわけじゃない。

自分でできること以上のことを他人に望めない。望むのは勝手だけどさ。

当たり前じゃないよね。孫を抱きたいといくら思っても、自分では何もできないし。

結婚もそうだし。

 

 

反面教師として、「親なら子供にこういうことをしてほしいと望む」ことはやめようと思う。

うっかり思っちゃうことはあるかもしれないけど、自分を厳しく監視しよう。

 

 

親が孫を見れないのってそんなに不幸なことだと思えないし。そもそも。

世間ではそういうことになっているけど、でも、それまでの道のりがなごやかだったら、そうなるってだけで、別に当たり前じゃないもの。

死んだり生まれたり生きたりするのは、神様の領分で、人間は祈ったり希望したりすることくらいしかできない。

 

 

会いたくない親だったら死ぬまで会わなくていい。

それよりも、自分の健康が大事。