双極性障害・ASD・ADHD

生活上の双極性障害への工夫について

保育園二日目(生後二か月半)

今日は保育園二日目。慣らし保育です。

二時間半いない間に、役所の人が様子を見に来てくれました。

そして励ましてもらった。

赤ちゃんにとっても、わたしたちにとっても、とても良いこと。

とにかく親の体が健康で、精神に余裕があることもよいし、保育園で、いろいろな刺激に触れて、成長すること。

確かに、昨日、初めて声を出して笑ったり、たくさんお話ししてくれたり(クーイングのあの柔らかい優しい声をきくと、とろけそうな気持になる)、いつもよりも、手を動かしていたり、もぐもぐ手をおしゃぶりしたり、起きている間も、穏やかにぼんやりしていたりと、良い効果がたくさんありました。

わたしも、家の掃除をしたり、料理を作ったり、趣味の手芸をしたりと、いろいろなことができました。

やらなくてもいいのですが、やりたい気持ちを抑えるとストレスが溜まります。

それを思い切り発散できた感じがします。

発達障害の人が「親になった」時の困難について。育児、変化、混乱と疲労。 | スカイのブログ

この記事の通り、赤ちゃんの世話が大変というよりは人が一人増えたので、ぼんやり一人で閉じこもる時間が無くなったのがつらいようです。

 

あまり、赤ちゃんの世話が大変と思わないです。

でも、「大変」といっても「大変じゃない」といっても、マウンティングになるらしいので、子育て界は難しいです。

「うちの子は大変じゃない(から、わたしのような粗忽な人でもなんとか育てられます)」「楽な子です」「親孝行です」と言いたくても、そういう有能な子を産んだわたしすごい、に思われてしまったり、逆に「たいへん」といっても「たいへんアピール」って思われてしまったり。

個人的には、子供を育てるのは楽しいといろいろな人に思ってほしいのです。

というのは、身近に子供がいないと、子供の可愛さが分からず、子供を産むという気持ちになかなかならないのに、そのうえ、大変なことだと思ってしまえば、絶対に産まないでしょう。

産まないのが悪いとは思っていないです。むしろ、こんな体の負担なことを勧める気持ちにはならないのですが、潜在的に生みたいと思っている人が、「無理だ」と機会を損失するのはあまりにももったいないと思うほど、赤ちゃんを育てるのは、面白いのです。

それでも、わたしは、赤ちゃんの泣き声を聞くと、吐き気がする(比喩ではなく)ときもあります。頭も痛くなります。なるべく、赤ちゃんの泣き声は聞きたくない。

赤ちゃんの泣き声は、かわいいですが、それでも、ストレスになります。

たぶん、聞いていて耳障りなことが大切で、聞きたくないから、泣き止ませたくなるんでしょう。

 

子育てが大変というよりも、子供を育てることによって、自分の環境の欠点が明らかになってくるのではないかと思います。

夫婦仲がうまくいかないところは、ますますうまくいかないことの問題点が顕在化するだろうし、体調が思わしくないなら、悪化する、頼るところがないならそれも浮上する、そういうことなんだと思います。

 

 

今、赤ちゃんが帰ってきました。

連絡帳には、赤ちゃんの記録が書いてあります。保育士さんに抱かれてすやすや寝ていたこと、ほかのお友達に興味津々で見つめられていたことなど。

家では与えることのできない刺激をもらって、今はちょっとぐずったあと、静かににこにこしています。