双極性障害・ASD・ADHD

生活上の双極性障害への工夫について

双極性障害・ASD(精神障害手帳2級)の妊娠・出産について

精神疾患の薬を服薬している方は、妊娠出産をしたくても、情報がなく、不安になっているという話があったので、減薬、断薬、それに応じてしてきた工夫について書きます。

まず、わたしはアレルギーの薬も飲んでいました。

精神科で出されていた薬は、

  1. デプロメール25㎎
  2. レクサプロ10㎎
  3. セレニカR40%0.4g
  4. エビリファイ1%0.1g
  5. プロチゾラム.25㎎
  6. レボトミン5㎎
  7. ワイパックス0.5㎎
  8. ソラナックス0.4㎎
  9. ツムラ加味逍遥散7.5g
  10. ネスタ2㎎
  11. ファモチジン10mg 

です。

で、それを徐々に三か月か半年かけて減らすといことで、先生に相談していたのですが、まさかすぐに妊娠しないだろうと油断していたら減薬が進む前に妊娠してしまい、妊娠してから減薬しました。心配でしたが、妊娠超初期の服薬はあまり影響がない、もし、影響があれば化学的流産をするとのことでした。

妊娠初期は、以下の処方でした。

  1. サインバルタ20㎎
  2. エビリファイ1%0.1g
  3. ソラナックス0.4㎎
  4. ツムラ加味逍遥散7.5g というシンプルな処方になりました。このまま出産まで行きました。

メンタル的には不安定になりました。ラピットサイクルが進み、躁鬱の周期が三日で切り替わるようになり、買い物依存が激しくなりました。

つわりがひどかったので、自殺や自傷にいく元気がないのは幸いでした。

今出産して一年後ですが、周期は、一週間から二週間の間うつ状態で、躁状態はそのあとに三日程度くるようなかんじです。今は、今までのクリニックが閉院したため、転院したせいか、抑うつ希死念慮があります。でも、子育ては、保育園と夫と二人でできています。

妄想は出ませんでしたが、怒りっぽくなり、「なんでお前は産まないんだ」と夫に言いました。お皿が思うような位置にないだとか、思った通りにできないことで、しょっちゅう泣いていました。

気を付けていたのは状態を記録にとり、どのようなサイクルで変わっていくか、変化の予兆やきっかけはどのように起きるか、ということを自分でも夫にも確認してもらいました。

出産自体がパニックになることが不安で、無痛分娩を予定していましたが、40時間近い陣痛の末、帝王切開になりました。出産後は、いわゆる出産ハイで、身体は動きました。

ただ、出産してから十日後に、夫の身内に不幸があり、夫が三日家を空けたため、痰飲後一人で家のことをやったり、育児をしなくてはならず、産後鬱になりました。

ちょうどそのころ、助産師の訪問があったため、スクーリングに引っ掛かり、それから毎日役所の人か保健師さんが様子を見に来てくれ、産後の母親のケアの支援を勧めてくれました。いくつか利用して、なんとか誰も死なないで元気でいることが大事なのだと励ましてくれることで、生き延びました。

最初は母乳をしていましたが、保育園に通わせていくうち、飲んでもらえなくなったので、後半はミルクで育てました。

生後四か月で預けたので、さみしかったのですが、出産後、四か月してからようやく精神科と皮膚科に行くことができました。里帰り出産をしない場合、医者に行く時間がないのが問題なので、医療にかかるために、どうしたらいいのか、前もって考えておくとよいかもしれません。

わたしの場合は、夫が在宅勤務のため、自分の状況や子供の状況に対して、人の目がありました。でも、助けを求めるという発想が最初なかったため、産後鬱になりました。

ネットでは、精神障碍者が子供を持つことに、ひどいことを言う人もいますが、子供を持ちたいと願い、産み育てることは、たとえ親のエゴだとしても、幸せなことです。

子供が生まれてから、ずっと毎日かわいくて、産む前に、何を楽しみに生きていたのかわからなくなりました。たぶん産む前の楽しいことってあまりないというのが、病気なんですけど。

すくすく育ってくれています。実家の手助けは全くないです。葬式の前後といまだに夫の親族ともめているくらいで、むしろ実家の支援はマイナスです。

在宅勤務とはいえ、家のことができるほどではないのですが、話し相手がいるということがとても大きかったと思います。

一人で孤独に苦しいより、愚痴る相手がいて、状況を把握してくれていることが、一番良い点でした。

 

産んでから直後に書いた本です。比較的穏やかな子だったので、こういうことをする余地がありました。とはいえ、腱鞘炎、腰痛、帝王切開の傷の痛みなど、いろいろありました。