双極性障害・ASD・ADHD

生活上の双極性障害への工夫について

ASDにモラハラはおもいつかない

ASDモラハラをしようと思ってすることはかなり難しいと思います。

結果的に、気が回らない、感謝の言葉を言わない、そういうことは起き得ますが、相手を傷つけようと思ってモラルハラスメントをする能力がない、それがASDだと思います。

ASDにも屑はいますが、たぶん、同じくらい定型にも屑はいるはず。

カサンドラ症候群ということばが有名になって、ASD夫=モラハラ夫というイメージが付きやすくなったと思いますが、それは誤解だと思っています。

そもそも、相手の気持ちを予測して、相手が嫌がること、自尊心が減ることをできるなら、ASDじゃないわけで……。

たとえば、最近だと「義理の実家の人に失礼なことを言われて、こう言い返してやった!というのがバズるけれど、どうしてそもそも失礼な人を言う人と付き合うんだろうか」ということがわたしには全く分かりません。

配偶者が自分の親に親切にすることは、邪魔しないとしても、自分と全く関係のない人に、「嫁」と見くびられて失礼なことをされたり、意地悪をされたなら、二度と会わなくていいですよね。

そういう人たちが、いざというときに助けてくれる可能性はゼロです。

親戚づきあいだって同じです。昔は、お互いに助け合ったのかもしれないけれど、わたしの昔気質のはずの親戚は、わたしが困ったときに見て見ぬふりをしてました。

だいたい、どこにでもいる「いやなやつ」がたまたま親だったり、たまたま義理の実家の人だったりする可能性はすごく多いわけで、そういう人からは逃げるのに、どうして、配偶者の親からは立ち去らないのかさっぱりわかりません。

というわたしの考えは、おそらく、ASDっぽい。

でも、この考えは、「相手と付き合わない」というだけであって、あえて、攻撃はしません。

ASDが、攻撃的にならないとは言いませんが、基本的には、受動的であって、言われたことをする、言われたこと以上はしない、というのが特徴なはずです。

だから、「感謝の言葉」というのが、そのASDの人生に組み込まれていなかったら、それを言えるはずはないですが、そこには他意はないです。

(理屈っぽいASDもいるだろうし、女性差別的なASDもいるはずだから、お金にならない労働をする妻を責めるというパターンはもちろんあるだろうとは思います)

 

 

わたしは、ASD「だから」人の心がわからない、ASD「だから」人の心がわからないからひどいことをする、というのは偏見だと思います。

もしも、そう見えるとしても、わたしにはわたしの心があって、理由があります。

義理の実家と一切付き合わない、というのは「冷たい」ように見えるかもしれませんが、身を守る手段なのかもしれません。

ASDとつきあうと、疲れるという人もいました。

でも、こちらからすると、定型発達と付き合うと「疲れ」ます。

わたしたちは人数が少ないので、人数が多い側の人が、「ASDと話すと疲れる」という風に言われると、属性による差別が起きてしまいます。

ASDも一人の人間です。

悲しいもわかります。傷つくこともあります。

ASDだから、「モラハラ」する、ASDだから、「暗黙の了解が分からない」ので人の嫌がることをする、という言い方をする前に、その慣習が本当に正しいのか、その観測に偏見はないのか、点検してほしいと思います。

わたしたちだって、傷つくのです。

その傷ついたときの表現方法が、大多数の人と違うから、まるで心がないように思われますが、心がないと言われる意味も理解できますし、深く傷つき、悲しみ、時によっては死にます。