双極性障害・ASD・ADHD

生活上の双極性障害への工夫について

コンサータ始めて5日目で慣れた

コンサータ5日目の感じ方について書きます。

 

効果

感覚過敏は当たり前ですがまだありますが、ちょっと自分から距離を隔てて存在するくらいに弱まったという感じです。ただ弱くなったというよりも、自分にバリアーができたような感じで、それごしに刺激があるなと感じます。刺激から発生する不快さがうんと遠ざかりました。刺激は刺激、不快は不快とわけることが可能かもしれないくらいに。

今までは刺激が直接神経に障るような感じでしたが、今は不愉快な刺激が肌の上にあるくらいの距離。だいぶましになりました。

感覚過敏は、ADHD由来なのではないかと我が家で話題です。コンサータが効いたのと、連れ合いも子供のころはADHDの多動が強かったのが、大人になってから多動が消えると同時に感覚過敏も和らいだという体験があったためです。

 

多動、注意欠陥の最中だと行動中に気付いて行動を修正できた

そして、多動は普通にあるものの、「今、多動だ」「これは注意欠陥かも」と気が付くようになりました。

例えば、今日できたことですが、

 

子供の服の襟ぐりの大きさを調べようとする→長袖があることに気が付いて衣替えをしようと思う→あれ、もともと、服の襟ぐりのサイズを調べようと思ってタンスの前に来たんだった→服のサイズを調べて、衣替えをして、肌着を縫おう→実行

 

ということがありました。気をそらして違うことをしようとしても、最初にしようとしたことに戻れたので、自分でも驚きました。コンサータの効果が行動を変えているのだなあと思いました。仕組みが不思議です。ドーパミンセロトニンがどうこうなるとどうして行動が変わるんだろうか。

したいことに順番をつけられる

月並みですが、これにつきます。初日には体調を崩して、何もできないで、茫然と感覚が変わったことに驚愕していましたが、慣れてきたので行動ができています。

今までも聞いた話でしたが、自分で経験すると別物です。

上の話と関連しますが、今さっきの話を書きます。

一時から三時の間に子供に食事を与えて、自分も食べて、子供に薬をやって、自分も薬を飲んで、寝かしつけて、ドラクエ3をしながら、クッキー作ってお茶を入れてブログを書きました。

 

今までだと、したいことが覚えていられず、また、違う情報が目に入るとそれを始めること、並列してものごとをすすめがちだったのが一つ一つできました。

 

例としてのクッキーづくりとドラクエとブログ

例えば、ドラクエやりながらクッキーを作る、というのが、今までは文字通り同時でした。

コンサータを飲む前

戦闘の途中で突然離席してクッキー作ってやりかけのまま一息ついてまだ戻ってクッキーに戻るみたいな。全部やりかけ。やりかけながら少しずつやる。飽きちゃうし。ドラクエで一回入力したら小麦粉計って、戦闘が終わったか見に来て、終わっていたらステータスを確認して、それからまたクッキーの材料の分量を量って、混ぜている途中でまたドラクエを見に行って、スマホ見て、ブログ書こうと思ってパソコン立ち上げたはず。で、ブログを五分くらい書いたら、クッキーに戻って、予熱して、材料をかき混ぜて、クッキングシート開いて、ブログに戻って、ちょっと書いてから、スプーンでクッキーの材料をクッキングシートにおいてオーブンに入れてから、ブログを書いて、ワードプレスの調べ物をしつつ(こういうのが突然入ってくるんですね)、ドラクエを合間にやりつつ、お茶を入れて、ちょっと飲んでドラクエしてブログ書いて調べ物をしてフラッシュバックで混乱して薬のんで。というのがわたしの生活でした。

 

コンサータを飲んだ後

でも、今日は、戦闘の途中で離籍したのは変わらないんですが、セーブを取って、クッキーを作って、それから戻って、ドラクエを終了させて、それからブログ書いたんです。まあこれでも、普通よりは、同時にやっているんだと思うんですけど、自分としては同時ではなくできた、と思いました。部屋同士の移動量が少ないし安全に料理できるのでよいと思います。

考察

一応自分では何をしたかったのか、覚えているつもりなんだけど頭の中が忙しくて現実が追い付いてこない。それに、事実として一番したいことは最後まで後回しになっています。一番やりたいこともわからなくなってしまうし。一番したかったことは、記憶が鮮明だから後回しになるのか、忘れるから後回しになるのかは、自分でもわかりません。

コンサータを飲む前は、常にだるく、体が痛いので、動けませんでした。

それが当たり前の状態だったから、一日何もできずに終わることが多かったのです。そそれに抗って、ちょっとでも何かはしたいと思ったのが、分散するやり方です。

 

わたしにとって、ちょっとずつ分散して作業をすることは工夫だったのです。何もできない状態はしんどいです。同時進行をすると、嫌なことへの気がまぎれて、全く何もできないよりは少しずつできてくるからまし、って今まで思っていました。

また、嫌な、やりたくないことに取り掛かれない、ということがちょっとですが減った気がします。

 

 

副作用

心臓のバクバク、胃の膨満感、不眠があります。

どれも一過性のものでしばらく辛抱すれば去っていく種類の苦しさなので、身体が慣れたら感じなくなると思います。実際、日を追うごとに楽になっています。

 

心臓のバクバク体のがくがくは、五分くらいで収まります。膨満感については、食欲不振が当たると思うので、ひどくなったら、メイバランスでも飲もうと思います。

 

 これは、前の主治医に勧められたものです。食事が用意できない時にこれでいいから飲めると思えば、具合が悪い時でも安心だから、災害対策としても備えておきなさいと言われて備蓄しています。

胃ろうの患者さんも飲むようなものだからこれさえ飲めればいいといわれたので安心しています。

 

不眠についても、今まで薬の作用で眠れなかったときの経験があるので、楽観的です。少なくとも理由がわかっているので、やめたら治ります。

また、体が慣れたら、副作用である不眠も軽減されるはずです。以前、気持ちが高ぶりやすく、神経を穏やかにする働きが弱いといわれたことがあります。そのため、身体を動かして、神経を穏やかにする工夫として、筋トレをしています。

わたしは「30日間で体重減少」というアプリを使っています。 

恨みつらみがでました

最初、八つ当たり的ですが、「普通」の人に対して、「こんなに楽ならなんだってできるじゃない?」という感情がわきました。

建前としては、それぞれ苦しみがあって、それは比べられないとわかっているつもりです。でも、このジャンルの苦しさについては、楽なはずじゃないかとどうしても思ってしまいます。

 

そして、これだけ違う世界にいるのに、同じことができるかのように要求されて、努力をしていたのは無駄なあがきだったんじゃないかと思いました。重りをつけて走っていたみたいなものだから、それはいろいろなところが痛むよなあと思います。

 

薬を飲んでいて楽だったら、同じ努力をしても、もっと成果が出たんじゃないかとも思います。少なくとも、これだけ苦しい思いをしなくて済んだんだなと思うとむなしいような、さみしいような気持になりました。

 

言っても詮無いことですし、こちらが、そんな状態だって他人が知るはずもないので八つ当たりです。

 

わたしは、ほかの人も同じように苦しんでいるのに、わたしよりも成果を出していて、偉いなあ、とてもできないと思っていた分がつらいのです。ほかの人のことが分からないから、ほかの人も、自分と同じような状態だと思っていました。

ひがみだとはわかっているものの、こんな楽な世界に生きていたのか、って思ってしまいます。

 

慣れたかどうか

よくもわるくも、感覚の変化に慣れてきました。感覚過敏も、輪郭のぼやぼやさも、もともとなかったかのようです。輪郭のぼやけ方についていえば、眼鏡に油膜がついている状態で想像してもらえるといいです。常に眼鏡が油で曇っていて、その油を拭っても余計見えにくくなる感じです。視力(能力)は、関係ないんだなあとちょっと感心します。

しかし、こんな風に理解できるのも、前提としては、曇っていない状態を知ったからです。

曇った状態だったんだ、とわからないと、「そういうものなんだな、世界はぼんやりして見えるもんなんだな」と思って暮らしていました。それが普通だから、困っていることとして、わざわざ人にいうようなことだと思ったことがありません。困っていることに気付かなかったのです。

 

薬の効き目がおわる時間になるとだんだん戻ります。目の見え方や、色彩もごちゃごちゃして見えてきます。家がすごく散らかっていて乱雑で混乱しているような気がしてきます。部屋の散らかり具合は、薬が効いている間と変わらないんですけど。

でも、最初に思った通り、わたしの世界への認識は変わったままです。戻ってこないでしょう。経験する前には戻れない。それは当たり前のことなんですが、生まれつきずっとそうだったものが、失われると戸惑います。そこはまだ慣れません。

 

 

フラッシュバックや希死念慮はある

双極性障害に聞いているわけじゃないので当たり前ですが、希死念慮もフラッシュバックもあります。

でも、体のつらさ(だるさ、眠さ)がましになったので、余裕が出たのか、希死念慮が出ても、フラッシュバックが出ても、それに巻き込まれないで済む場合もあります。

三十まで数えよう、お茶のもう、などの提案を自分にできる余裕があります。

波に巻き込まれて流されて死にたくなっていたのが、波は相変わらず来るものの、あ、波だな、と気づく瞬間もある(毎回ではないので)のが、多少良くなった点だと思います。

四日前は衝撃的すぎて、全部よくなったんじゃないかと感じましたが、そんなわけはありませんでした。普通にほかの症状はそのままあるんだという確認ができる点で、そういう意味でも、効き目が弱くなったか、慣れたかしました。

 希死念慮とフラッシュバック

わたしの場合希死念慮というのは、本当に突然訪問してくるものです。わたしがネトフリ見て、わー面白いリックアンドモーティのジェリーは最悪だなあ、とか言っているときにも、希死念慮は、ドアをノックして、「やあこんにちは、お前は死んだほうがいいね」と言ってくる悪いやつです。フラッシュバックは、「お前はこういう恥さらしなことをしているんだからな、それを忘れずにな」と言ってきます。二人で訪問されると「ああ、こういうことをしてしまった自分は死んだほうがいいな」と思います。でも、それは、病気のしている悪さなので死なないようにしています。

 

罪悪感

わたしは、訪問介護を受けており、ヘルパーさんに来てもらっているのですが、「申し訳ない」と思いました。いつもは感謝していて、楽しみにしているのに、今日はなんだかつらかったんです。本当は自分でできるのに、元気なのに、やらないんじゃないかって……。

薬を飲んで、変わったんだから、やれるはずだろうと自分を責める気持ちが生じました。

 

現実には、薬を飲んだからとはいえ、完全に変わったわけじゃないですし、金曜日から土曜日にかけてねむれなかったために、まだ体調も悪く、昨日も寝込んでいたので、全然健康ではありません。先日も躁鬱混合状態になって、非常に具合は悪かったのです。

 

それを、ヘルパーさんに相談したら「ちゃんとしたところに審査されて、わたしたちは着ているんだから大丈夫」と言われたので大丈夫なんだなと思いましたが、相変わらず、生きることへの罪悪感は消えません。これは、発達障害というより、双極性障害によるものだと思います。魔法の薬じゃないのに、そういう風に感じて、全部よくなったように錯覚しているようです。実際にはよくなっているわけじゃないんですよね。でも、そう思わされるパワーがあるので、変わった薬です。

 

苦しみはなぜあるのか

フラッシュバックしたこと

わたしの十代はお風呂で声を殺してさめざめと泣くような時期だったんです。

そのときに「ああ、神様は来ないんだな」と思ったんですよね。どれだけ助けを呼んでも、誰も来てくれないという苦しみです。苦しみ自体もつらかったんですけど、助けが来ないとよくわかったので、それ自体がつらかったのです。それまでわたしはいい子でいて、神様に祈ればいつかいいことがあるんだと素朴に思っていたんですが、悪いことが終わることもなく、次から次へとで、疲れてしまったのです。

 

そういう思いをするのは避けられないとしても、身体が楽だとだいぶ違ったなあと思いました。

 

物語としての苦しみ、試練の意味

Twitterでkojimaさんとリプライで話していたら「試練はつきものだ」ということを彼は言っていて、なんで必要なのですかね、苦しいのなんてなくてよくないですかと聞いたら「成就するために必要だ」ということでした。

絶望というのは死に至る病だとキルケゴールは言っているらしいです。実存という言葉を使ったのがキルケゴールらしい。わたしの実存は、脅かされまくりです。それは、自分の生きている感覚が、揺らいでいて、自分が感じていたものが全部変わりえるものであり、自分が本当に存在しているのか、存在とは何なのか、あやふやになったからです。自分が選択してきたと思う、考え方や生き方も、理由なんてないんだなと思いました。で、じゃあ、生きる意味って何だろうと思います。ただ、これは薬を飲んだから思ったことじゃなくて、薬を飲む前から常に考えていることなんですけど、また、実存の不安定さを思い出すような出来事だなと思ったのです。

 

試練がないと成就しない、というのは、例えると、最初から強く迷いがなく完璧な主人公が、ちょっとの努力もなく、引き裂かれることもなく、苦しむこともなく当たり前にできたら、物語にならないということです。

ロードオブザリングの冒頭でいきなりリングを捨てたら、話が終わっちゃいます。「はてしないものがたり」でも、物語が消えそうになるので、苦しみしかないバスチアンが完ぺきな主人公になります。物語と、完ぺきなバスチアンは両立しません。そうすると、物語が消えてしまいます。だから彼は、失われた物語を探す旅をしますが、物語が成就しても、やっぱり最後まで探し物が必要です。愛と苦しみだけがストーリーになりえます。

わたしたちは、誰もが、「自分の物語」を生きているので、最初から何でもできて、試練も苦しみもなかったら、それは物語として成立しないので、自分の人生がむなしくなります。できることの喜びも、できなかったことができるようになった経験もなかったら、「自分の物語」に記すべきストーリーも細部もないわけですから、すっからかんの人生だと感じることでしょう。

 

そういう意味では、わたしは「自分の物語」の主人公を生きているわけですし、苦しみがあればあるほど、物語は、ドラマチックになるともいえます。(でも、そんなのいやですけど)。

 

結論

結論としては、自分で意識してなかった多動が収まり、視野がクリアになり音は静かになり、副作用はあるが慣れそうだし、そして、自分の衝動や感覚が楽になっていることにも慣れているのでありがたみはすぐに吹っ飛びそうだということと、それでも、双極性障害自閉スペクトラム症のフラッシュバックが消えるわけじゃないので、完全に楽になることはなさそうだ、ということです。

でも、飲んだほうが楽です。いつもだるかったので体の具合が悪いんだと思っていましたが、それは、ADHD由来だったみたいです。だるいのが動けるようになって、昼間は、目が覚めている。いつも、どうしようもなく眠かったので、眠眠打破にはまりかけて主治医に注意されるくらいでした。眠眠打破を飲むと体中の痛みを取ってくれて目が覚めるので、これは魔法の薬だと思ったんですが(だからこそ、やめなさいと言われたんですけど)、よく考えたらそれと少し似ている気がします。

 

だるささえ取れれば、身体はむしろ丈夫ですね。それはうすうすわかっていたことなのですが、わかっていても、だるさが取れたことがなかったので。どうして、だるさがないのか、不思議です。だるさを感じていても、健康であり、感じていることと体の調子が関係ないのも、不思議です。

体が信じられないほどだるくて重くて動けないくらいだったのが、かるーく動いて、しかも動くことが気持ちがいいのだからびっくりです。過活動とは違って焦燥感に苦しみながら自分で止められなくなって動くんじゃなくて、必要な分気持ちよく動けるというのが面白いです。

 

 

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