双極性障害・ASD・ADHD

生活上の双極性障害への工夫について

発達障害や双極性障害があっても楽しく生きられる(たぶん)

たぶん、今軽躁なので、割り引いて聞いてほしいのですが、療育なしの発達障碍者でも、けっこう楽しく愉快に暮らせます。やりたいことをやれる。

そのためには、工夫がいるし、自分を制御下に置くために苦労する必要はあります。

私は今数限りないルールを設定してそれをこつこつ守って生活している。

朝起きる。その後寝てもいいから。

顔を洗って身支度をする。毎日決まった服でもいいし、気分の上がる突拍子のない服でもいいから。

薬を飲む。食卓の横に薬を入れている。朝、昼、晩、それぞれの薬を縁がそれぞれ赤尾青黒の透明なポーチに入れている。それで服薬管理をして飲み忘れないようにしている。

起きたら洗濯機を回す。

機嫌が悪いことが多いので、朝食の準備と子供の世話はやってもらっている。

手間を最小限にするために、朝食はトーストとコーヒーのみ。

気が向いたらフルーツを向いて出すところはやる。

 

今までの部分は一人暮らしの時にもやれることだと思う。そのころは、朝起きる習慣がなくて寝つきも悪く、コンサータを飲んでもいなかったので、昼間眠くて居眠りしてしまうことがあった。今はそれはない。不眠でも、一度朝起きてそのあと寝るという風にすると、生活のリズムが崩れないと言われたのでそうしている。

 

洗濯物を干す。感覚過敏で濡れた布の感触が苦手だったけれど、コンサータのおかげでできるようになった。コンサータを飲むのをやめても、今までやったという実績があるから、できるようになれるんじゃないかと希望的観測を抱いている。

ヘルパーさんが週二で来るので、掃除と片付けをする。話を聞いてもらって安心したりすっきりしたりする。メンタルが安定する。

 

そして、それが終わったら、読書か勉強か、ゲームをして過ごす。

お昼ご飯はカップラーメン率が高い。

食べたら、台所にいる勢いを利用してそのまま夕食の下ごしらえをしておく。ご飯を研いでタイマーをセットしておく。

夕食は汁とメインの食事を作るだけのことが多い。気が向いたら副菜も作るけれど、だいたい作れない。作れるときにはたくさん作りすぎてしまう。

 

一日で火を使うのは一回にしているのは、ADHD由来だと思うが、ボヤを半年に一回くらいのペースで起こしてしまうからだ。

いつの間にかお玉がコンロにはみ出して燃えてしまったりプラスチックが解けたりしてしまう。

ここが次の課題だが、ハード面でなんとかなるのではないかという提案をTwitterでもらったので、検討してみようと思う。

 

調理が終わったら、ぐだぐだしたり、スマホをいじったりしてしまう。これは時間の無駄だからなんとかしたい。まだ工夫の余地がある。

 

夕方になると、夕食を温めたり調理したりする。そのころ保育園から子供が返ってくるので、食べさせる。

そして、時間になったら塾に行って働く。週二だけど。そこそこ収入になる。

他の日は子供と遊ぶ。最近はブロックが多い。

 

イライラするとその前兆に気づいて、薬を飲む。最近はなんと薬がなくても、イライラしているなと自覚するだけで、クーリングできるようになってきた。すごい進歩だ。

前はしょっちゅうかんしゃくを起こして泣いて騒いで疲れて一日を棒に振っていたが、それがなくなったのでゆっくりではあるけれど時間を前向きに使えつつある。

鬱の時は動けないし、軽躁になったら、楽しい時もあるが切迫感に突き動かされて大金を使ってしまう場合もある。

でも、それは、けっこう工夫によって解決された。他人の手を借りている部分もあるけれど。

それは現金を持たないということだ。お金の管理は家族にしてもらう。で、お小遣いをもらっている。

家族を頼れなかったら行政サービスでお金の管理をしてくれることがあるらしい。一回役所に相談したら、そういうサービスもいざというときになったらありますと言われた。実際には利用しなくてなんとかなったけど、いざとなったら自分の浪費を管理してもらえるんだと思うと安心した。

 

軽躁になると自分が何を欲しいかわからなくなって、欲しいに違いないと思い込んだものを買ってしまうのが自分で一番困ってるところだ。

 

でも、生活のリズムを付けて、失せもの防止に物の場所をきちんと決めてそこに必ず入れるようにできるようになって、生活は爆発的に改善した。

 

療育を受けていない大人でも、カウンセリングを受けてアドバイスをもらったり一緒に考えたり、またヘルパーさんを頼んだりして、生活力をつければ、それなりに安定することもあるんだと実証したい。

N=1にしかならないし、特殊な事情もあるから参考にならないかもしれないけれど。

 

最近になって、気づいたのは、何かを楽しむには教養がないと楽しめないということだ。

ゲームにしても、ハードとソフトを買って時間を費やしてやってみないと、楽しさはわからない。経験を積んで投資しないと楽しくならない。

花の名前を知っていたら、道に咲く花に気づいて、いつもより楽しくなる。

そういう経験や、楽しさを理解するための教養がないと、とっつけないし、趣味のタネが育たないので、教養は大事だと思った。

幸せには楽しさが必要だと思うので、いろいろチャレンジして、経験を積んだり、教養を蓄えたりして楽しくいきたいと思う。