わたしのパートナーは、誰からも好かれる人だ。不器用で内向的だが、誠実な雰囲気だから、初対面で、もう、信頼される。
お金がなくて服が二着しかないときでも、きちんと毎日洗濯をして、手入れをして、髪を自分でバリカンで刈っていた。爪もきれいにしていた。
二枚しかない下着を大事にしていた。
小柄で痩せていて、目が大きくて、初対面で、もう好きだと思っていたみたいだ、わたしも。
決して、イケメンだったり男らしい感じの人じゃないけれど、静かな佇まいは、信頼される。
初対面で、すぐにその日から一緒に暮らし始めたのは、静けさに、説得力のある人だったからだ。彼は、わたしに、ひどいことをしようと、思いつかないだろう。
わたしが、妊娠してから、パートナーは、すぐに父親としての自覚を持った。
それは、見ていればわかる。
今も、家事をして、仕事をして、そのうえバイトもしている。バイトは、わたしがしていた仕事の代理だ。
わたしが戻れるように、代わりに働いてくれているのだ。
わたしの買い物依存症にも付き合っている。一緒に、どうしたらいいか考えてくれる。
将来の貯金をしたいと願いながら、金融の勉強も続けている。
そのために、彼がしたかったことを、彼はいくつかあきらめている。彼には、趣味もしたいことも夢もたくさんある。それを、犠牲にしていると感じることがある。せめて、保留にしているだけだと思いたい。
でも、世間では、妻が妊娠しても臨月になっても、父親の自覚を持てない人が多いらしい。
だからか、外に出ると、臨月のわたしを見て、それから、彼を見て「父親の自覚はでてきましたか」と善意で聞いてくれる人がいる。それは、わたしを守るために言っているのだと、わかる。
でも泣きたいような気持で、この人にこれ以上そんなことは言わないで、と思う。
強く思う。
わたし以上に、親になることを考えて、わたしの体調を自分のことよりも気にして、わたしがしんどいときには、ひっそり息をひそめて、様子をうかがいながら、してほしいことを頼むと嬉しそうに、足をもんでくれる人なんだ。
わたしは、ときどき、泣きたいような気持になる。
子供をわたしの体で育てることだけは、彼にはできないから、彼がどうしてもなりたかった父親という立場を、渡せることだけが本当にうれしい。
彼は名前も失った生活を十年以上続けて、物置に閉じ込められ、食べるものも十分に与えられず、家族との会話を許されず、子供がいても、お父さんと呼ばれることが一度もなかったという。
ときどき、あの頃のことを思い出しているんじゃないかと、心配になる。
わたしの妊娠がトリガーになって、彼の心をかき乱すのではないかと。
彼は、ずっと父親になりたがっていた。ようやく、父親になれる。
わたしが彼にできることはほとんど何もないが、子供を無事に生むことだけが、わたしの命を懸けたプロジェクトなのも確かなのだ。
彼が、父親になる自覚があるかどうか問われるたびに、心が引き裂かれるような気持になる、そして、自覚のないまま父親という座を勝ち取り、そして、父親として、責任を果たさない人たちがどれだけ多いのかということも思う。