双極性障害・ASD・ADHD

生活上の双極性障害への工夫について

結論ありきで考えると心拍数が上がる

結論ありきで考えていることが多い。ダメだという結論を持っていて、それを支持するために理由を考えているのだ。バカの考え休むに似たり。

それで、「ダメだからダメでダメなんだ」みたいなことをよく言ってしまう。

そういうときには心拍数がとても高い。

普段、50から60くらいなのが、110前後になっていたりする。

泣いているときには、心拍数が135くらいにもなる。子供の世話をしているときも、80くらいなので、やっぱり高い。

だから、動揺しているかどうか、把握するために、スマートウォッチで心拍数を確認する癖がついた。

スマートウォッチを買って、一番面白いのは、自分が動揺しているかどうかを発見できることだ。

私が「目が悪いからもうダメだ」「死んでしまいたい」「何もかもうまくいかないからダメだ」と言っている間、心拍数は強い運動をしているときくらい高い。

だから、私はいつも疲労感を感じているのだろう。

 

心拍数が高いということは、交感神経優位ということだ。それで、昔から自律神経が失調していたようだ。

だから、怒ったり泣いたりしているときには、深く呼吸をして、体のほうから副交感神経を刺激し、ついでに、感情をなだめられたらいいということだった。

 

短気は損気というのは、お医者さんによると、運動をしない人が血圧がバーンと上がって心拍数が高いと、細くなってごみのたまった血管に圧が高くかかるので、そのまま切れてしまい死にやすいということらしい。

自分が起こったり泣いたりという感情の動きは、頭の中でだけ起きているわけじゃなくて、体も関係している。

考えるというのは、感情の好悪が選択するその進路に沿って、結論を選んでいく作業だと私は思っているから、感情が体を左右するなら、体が思考を左右することもありうるんだろう。結構みんな結論を先に決めてそれを支えるために筋道を立てているんだじゃないかと思う。仮説を立てて、それが正しいか検討して、結論を出すのもそういう意味では同じ。

 

睡眠時間が長いということについては、秋になると長く寝るという特性があるのかもしれないとお医者さんは言っていた。冗談かもしれないけど。

 

昔から秋になると二十時間くらい寝る日があったから、そういうものなのかもしれない。

今月は、お金もそこまでは使わず、計画的に楽しいと思える範囲で使えたからよかった。

体重も減り続けている。これは、薬の副作用というより、コンサータを飲むことで覚醒度があがっているため、目覚めるために食べることをしないで済んでいるからだと思う。

 

今月は筋トレはあまりできなかったから、体重の減少が500グラムにとどまったけれど、月にそれだけ減ると年では六キロ減ることになるので、順当だと思う。

 

今月は、あまり心拍数を上げずに過ごしたいと思う。

双極性障害はコントロールできるのか

今回のメモは、

  • 宅建頑張った
  • 鬱っぽくあったが、落ち着いていた
  • 勉強を教えてもらってもキレなくなった

ということを書いていきました。

先生からは、

病識があると勝つと言われました。これを今回のテーマとします。

 

躁鬱のリズム

躁鬱のリズムは、今、二か月ほど、軽い鬱状態です。一日に十二時間ほど寝ていて、過眠ですが、調子は悪くありません。

過眠だから、鬱だとわかります。気分はすっきりしないし、毎日午後には頭痛がしますが、衝動買いしてしまう苦しさに比べたらずっとましです。朝に調子が悪いのも鬱の特徴ですが、それもはっきりしていますね。やや抑鬱のところが、朝だと10です。

f:id:c71:20191023081803j:plain

病識があると勝てる

意思の力でコントロールできるのは、躁状態だと言われていたのですが、今回はうつ状態の過ごし方についてコントロールできると言われました。

躁状態の時には、把握したら、なるべくおとなしくしておくことで、うつ状態の凹みを減らすことをアドバイスされていました。波がさざ波になるように、ということですね。

鬱の時には落ち着いて考えられます。

だから、あきらめて寝るのが病気のためだと言われました。

病識がある人は、ほとんどが躁鬱をコントロールできるようになると先生は言っていました。

先生からやめてほしいことは、つらいけどあえて頑張ることです。

なるべく、エンジンをふかさない、エネルギーの無駄遣いをしない、元気を出さない、元気を出そうと思わないということ。

頑張っても何一つプラスにはならないということです。

躁鬱で大事なのは今自分が躁状態なのか鬱状態なのか把握することですが、それは、睡眠時間が長ければ鬱、短ければ躁と分かります。

慣れてくると、今、唐突に夜中の三時にクッキーや公としているので躁が始まっているな、とか、悲観的にぐじぐじ考えているから鬱だな、体が動きにくいし頭痛がするから鬱だなと分かるようになりつつあります。

何もしない自分がつらい

何もしない自分がつらいのです。

今日も何もしないで終わった、人生の無駄遣いをした、あーあ、とよく思います。

そうしたことを避けるために「頑張ってドラマくらい観よう。そして楽しまなきゃ」と思います。

でも、つらい時には観ないで頑張らないことを指導されました。

ドラマやゲーム、勉強くらいしないと焦りますが、何もしない自分を許して、病気のためのことをしていると考えるようにと言われました。

休憩という大事なことをしているんだ、という風に。

自己否定をしない

何もしない自分はダメだ、というのは自己否定です。

自己否定をいかにしないかが鬱攻略になりそうです。

私は「目が見えづらくなってきたから私の目はもうダメなのかもしれない」「歯が割れたから私の歯はもうダメなのかもしれない」と体の不調についてダメだと結論付けます。

実際にはダメじゃないです。少なくとも歯は、今の状態を維持していたらこれ以上悪くなって抜けることはありません。

(三十代以降の人は、歯周病の検査に行って、歯間ブラシの仕方を指導してもらうべきです。歯周病の治療をしたら、だるさが楽になりました)

これは、「結論がダメだと決まっている思考」なのだそうです。

最初から結論はダメということにしていて、放り込んでいる。

これは考えているうちに入らないそうです。そうですね、最初から結論が決まっていて、それがどういう道筋にしろ、ダメ、と思っているわけだから。

その考え方の癖があるので、それを意識するのがいいんじゃないかなと思いました。

私はつい今よりどんどん悪くなると思う癖があるのですが、「今を維持していたらこれよりは悪くならない」ということを意識しようと思います。これ以上良くするというと難しいけれど、悪くしないように努力すれば、今と同じ状況でいられるはずです。加齢はありますが……。

勉強はメンタルの安定に役に立った

私の鬱状態は三か月続いています。今まで、三日に一度躁鬱の波があったのが、二か月以上のサイクルになったので、これは喜ばしいことです。ラピットサイクルは、改善するのだろうか。今の状態だと改善したとしか思えない……。それとも私が気づいていないだけで、三日に一度のサイクルはあって、それが穏やかになっているのだろうか。

先週まで私は宅建の勉強をしていました。だいたい80時間です。100時間すれば受かると言われている資格なので、落ちても仕方がないなという感じもあります。

自己採点だとぎりぎりダメだったという感じなので、健闘しただけよかったと自分を励ましているところです。資格をすぐに使う予定はなくて、自分の頭が馬鹿でもなく努力できないわけでもなく、普通なのだ、という自信をつけるために努力しました。

その結果、まあまあ頑張れるということと、習慣づけることの力を感じました。

勉強をしている間、あまり、ネガティブになったり、イラついたり、同じことを何度も繰り返し言ったりすることもなく、穏やかに過ごせました。

これは、勉強をする効果があったんじゃないかと思います。

今、私は高校数学の見直しを始めました。また、それが終わったら、英語のリスニングとリーディング、そして、資格試験をまた新たに受けようと思います。その試験は、3000時間から5000時間あれば受かるそうです。高校生が三年間で大体そのくらい勉強しています。だから、三年かければ、受かるかもしれないと思います。受からなくても、精神的な安定につながれば、それでいいんじゃないかと思います。

コンサータ

コンサータはまだ効いています。眠くならないです。また、集中して物事がこなせます。ただ副作用で痩せました。六キロくらいかな。ダイエットをしているからそのせいもあるかもしれません。そうであってほしい。

ラミクタール

ラミクタールは全部で200になりました。

自分では効いていると思っていましたが、先生が「あながち効いていないわけでもないと思う」と言っていたので、「効いている可能性もある」くらいなのかな……。そうだとしたら、気分グラフが平たんなのは私の努力のたまものということになるので、それはそれでいいかなと思いました。

妊娠を考えているのですが、ラミクタールは、妊娠中も比較的使いやすい薬だということで増えました。飲めるなら飲めるほうが、精神的に楽なのでありがたいことです。飲まないのが一番いいんでしょうが、躁鬱が激しくなって死んでしまったら元も子もない。

不穏時は減って、リスペリドンは三日に一度くらいになりましたが、その三日に一度の一日に三包くらい飲むので、やっぱり、30日分出ました。

だいたい、不穏だという前兆が出たら(ぐるぐる思考やイライラ)、飲むようにしていて、効いた感じがするまでは飲んでいます。それで三包。

頭痛がよくあります。前は風邪だと思っていて、パブロンをしょっちゅう飲んでいましたが、パブロン中毒になると困ると言われて止めました。パブロンには依存性があるそうです。

頭痛とだるさ、熱っぽさは、鬱から来ているらしいので、そういう時にあまりつらいときには、リスペリドンを飲んでいます。

抑肝散も毎食出ています。

結論 

鬱状態の時には、衝動買いもしないし、夜中に模様替えもしないし、寝られるのでまあまあ楽です。すっきりした感じはありませんが、ほどほどに暮らせます。

何より、お金を使うと貧乏になって、人生が破滅するので、それが抑えられているのが一番いいです。あの状態が続いていたら、首が回らなくなるところでした。

今月は、ダメという結論ありきで考えない、何もしない自分を否定しないで、休憩するを目標にしたいと思います。

 

躁うつ病はリズムの病気

病院に行ってきました。


 

相談したいことは、

  1. わからないことや勉強を教えてもらうと、死にたくなったり、泣いたり、紙を破ってしまったりして、とにかく大変なことになる。
  2. 朝起きられない。
  3. 過去の行動に恥を感じて苦しい。

今月うまくいったことは、

  1. 死にたくなったりつらくなったりしたら、「保留」にして、先のことを考えない。
  2. ネガティブになっても、気持ちに引っ張られない。ネガティブなことを口にしない。気分転換する。ネガティブなことを言い出すと、止まらなくなってしまって、自分の言っている内容に影響されて行ってしまうから。

 

 

朝を捨てる

鬱期だから、朝起きるのをあきらめる。一回起きたら横になっていること。

無理をして動くと、こじれてしまって、悪化する。

でも、リズムを壊さないために、一度は目を覚まして、顔を洗ってそれから寝るようにする。

朝のラインをきちんとしておけば、一日のリズムが後ろにずれていかない。

だるくて仕方がないのは、頭が覚醒して、体が寝ているという症状だから。

「何年も自信がなくて、自分のことを馬鹿だと思ってしまう」というのは、記憶を書き換えている。ここ半年でも元気いっぱいで自信にあふれていたころはある。

鬱というのは、記憶を書き換えて認識をゆがませてしまう病気だから、いつもこういう考えをしているわけではない。

 

恥を感じることは悪いことではない

恥を感じるほど、前は間違っていたと思うなら、次は改善されている可能性が高いので悪いことじゃない。

恥というのは強い感情なので同じことを繰り返さないで済む。

 

買い物依存症ではないのか

先生からは、買い物依存症ではないと思う、と言われた。

ただ、買い物を楽しみじゃなくて、苦しんでしているなら、依存症のケはある。

でも、治ることだからあまり心配しなくてもいい。

ショッピングを「やりきる」ことを勧めることはできないのが、買い物依存症のつらいところ。生活が破綻してしまうから。

でも、今のところコントロールしつつあるのであまり気にしなくていいと思う、とのこと。

 

頭が悪くても困らない

「頭が悪くて困る。頭が悪いんじゃないかと思う」という話をした。

本当は勉強ができなくなると、パニックになってしまうことを言いたかったんだけど、うまく伝わらなかった。来月の課題とする。

 

私は、賢くなりたいんじゃなくて、勉強ができるようになりたい。のだけど、先生は、私がそうじゃないと思っているみたいに話を聞き間違えてしまった。

自分でもどっちなのかわからなくなって、面白くなってきいてしまった。

 

cleverとwise

偏差値的な頭の良さがclever、賢さがwiseだとしたら、頭の良さには多様性がある。

「ヘルパーさんを見ていると、高校までの人も多いけれど、よく本を読んで専門的だし、家事ができたり思いやったり、とにかくよく気が付くので、頭がいいと思う。偏差値的なことじゃなくて賢いってそういうことだと思う」ということを話した。

 

「人間は共感をすることで反映してきた。動物と人間の脳の違いは前頭葉にあり、前頭葉が共感ややさしさ、共同作業に関する領域をつかさどる」

前頭葉=優しさですか」

「そういってもいいかもしれない。だから、優しいということは前頭葉が活発だということだから、前頭葉というのは人間らしさなので、一番賢いということになるかもしれない。頭の良さには、分野別にいろいろある」

という会話をした。面白かった。

 

それはともあれ来月には、勉強ができないときに、パニックになるということを相談しようと思った。

 

カウンセリング当初の目標について

  • 落ち込まない
  • 思い出さない
  • 探し物をしない
  • イライラしない
  • 過度な片づけをしない

という目標があったのだけど、

落ち込む→気分転換をする

思い出さない→思い出してしまうけれど思考を追いかけないようにする。具体的には冷たいシャワーを浴びたり、軽く体を動かしたり、テレビを見たりと娯楽をしてみる。

探し物をしない→財布や腕時計がどこかに行くとパニックになってしまうので、置き場所を決めた。枕もとの壁にウォールポケットを付けて、こまごまとしたものはそこに入れるようにした。その結果、なくさなくなって、探すこと自体を避けられるようになった。

 

イライラしない→大まかにできるようになった。イライラの前兆に気が付いて、事前に薬を飲めるようになった。ただ、前述の「わからないことを教えてもらう」ときにパニックになってしまうのはまだ解決していない。

 

過度な片付け→これも、イライラと同じで、片付けをしたいと思い始めたら、事前に薬を飲むようにしてから収まってきた。

 

 

病気のことをブログに書くか

文章にするのは勧めない、とカウンセラーさんに言われてしまった。これは、聞かなかったらよかったなあと思った。

文章にするのはいいけれど、ブログにするといろいろな人に見られて、いろいろなことを言われるのが悪影響になるかもしれない。これはその通りだと思った。

でも趣味だということと、張り合いになっていることもあるから、やめたくないなと思う。

 

許可を得ようと思わないほうがいい。自立した大人だから、何でもかんでも許可を求めようとするのは悪い癖だ。

したいことをするべきだ。そして、その結果は自分で受け止めるしかないんだからそれで十分だ。

 

 

昨日は、mol濃度とPHの計算のことが分からなくて夫に聞いているうちに、混乱して泣いてしまった。泣いただけじゃなくて、紙をびりびりにしたり過呼吸になりかかってしまったりした。

自分が馬鹿だとばれたら見捨てられるんじゃないか、馬鹿にされるんじゃないか、怒られるんじゃないかと思う。

それは、昔そういうことがあったのかもしれない。

「これ、前も同じ問題があったでしょう。なんでできないの?努力が足りないからだよね。頑張ればできるのにできないのは頑張ってないからだよ。これは頑張ればできることでしょ。頑張ってもできないわけじゃないでしょ。ということは努力が足りないんだよ」と言われたんだと思う。今そういうセリフが脳裏によぎった。

 

結論

今鬱だけど、しのげそうだから、落ち着いている部類。重症じゃない。

これは薬が効いて穏やかになっている状態だから、このまま緩やかに乗り越えていこう、という話だった。

 

今月の目標は、自信を持つことと、勉強をしているときに、わからないことがあるからといって、自分を馬鹿だとか頭が悪いだとか言わないようにすること。思うだけでも迷惑をかけているし死んじゃいたくなるなあ。つらい……。保留保留。

 

保留や棚上げにしておくうちに、わけがわからなくなって、どうでもよくなって忘れてしまうようにすることが大事らしい。

精神疾患を持つ人の自己決定

お盆の間は、夫が大学に行っている。

 

 

夫は、大学を楽しんでいるようで、帰ってからレジュメを見ながらいろいろ話してくれる。それが楽しみだ。勉強ができる喜びでいつもより生き生きしているように見える。

わかりにくいけど、一緒に暮らしているからなんとなくうきうきしているのが伝わってくる。

 

昨日は、尊厳死安楽死についてだったようだ。

今日は、医事法の精神医療の部分らしい。

 

精神疾患を持っている人の自己決定はどんなふうに法律で処理されるのか、とても興味深い。うつや、双極性障害は、気分が意思をゆがめてしまう病気なので、それが本人の意思かどうか、自分でも、判断しづらい。

鬱の時には大きな判断をするなというけれど、私の場合、常に躁か鬱の輪廻にいるので、それを言うと、いつ判断していいのか、という問題がある。

正常な時がないから、判断に適した時もない、とするなら、病気の長い時間を、自分の意思決定なしに暮らさないといけなくなる。

 

それでは、自分の人生を生きられなくなってしまう。

躁鬱の困ることは、私の場合、性格に及ぼす影響が大きく、考え方も、言動も、別人みたいになってしまう。それでも幹になるようなものが同じだから、一つの人格として認識できるけれど、それも、何とか出来るという感じだ。

鬱の時には卑屈になって、自分がダメだと繰り返して、ぐじぐじいってしまう。

 

 

逆に、躁の時には、よく考えて判断しているつもりでも、後になって振り返ると、衝動的に、破れかぶれのようにふるまっていて、後悔することもよくある。だいたい、後悔し始めるのは鬱のサイクルの始まりだから、どこのところで折り合いをつければいいのかわからなくなる。

 

気分が及ぼす影響で、意思が変わってしまうことはよくある。気分が変調する病気だから、判断が自分でも信用できない。

 医者やカウンセリングで、病気にひっぱられた考え方を元に戻してもらうことで、立ち止まる習慣をつける。

 

 

自分で考えたから後悔しない、というのはありえない。後悔ばっかりしている。

でも、たぶん、他の人だって、後悔しないように心を決めているだけなんだろうと自分を慰めている。

ただ、間違った判断でも、しないよりもましだから、するし、間違った判断でも、尊重してもらうと、自分の人生だ、という感じがする。

自分の人生の主人公だ、という感覚は、自分の人生の舵とりを掌握している、という部分からはぐくまれている。ここでいう、「人生の主人公」の言葉の意味は、時間や判断を自分でコントロールできているかどうか、だ。

他の人は、自分の時間や判断をコントロールできているかどうか、どのくらい気にするのか、まったく見当がつかないけれど、私はそれができないと本当にゾンビになったような気がする。把握して、コントロールしたい。

 

流されるのしても、流されていることを自分で判断した、という過程があるからこそ、生きている感じがする。

人に支配されていては、生きている意味が失われてしまう。生きている実感がない。

五感も働かなくなって、死んでしまいたくなるほど苦しい。触ったものの感触も、何かビニールをはさんでいるみたいに、遠くなる。音も遠くで聞こえるようになる。

 

自分がつかんだ現実でないと、だんだん自分が生きているのか、それともすでに死んでいて、誰かの夢を生きているのか、わからなくなる。

 

だから、私にとって、自分の決定というのはとても大切で、人生の質を変えるものだ。

 うつ病双極性障害の人の自己決定が、気分の影響を受けて、間違っていた時に、取り返しがつくような環境であれば、それが可能になる。

そのためには、自分の病気を把握して、人に伝えて、力を貸してもらうことが大事だ。

これは、頼りっきりになるという意味じゃなくて、こちらができることはする。相手のためにできることがあればする。

自分の病気に周囲を巻き込まないために、相手の安全を守るために、自分の病気の状態を伝える。

相手は、病人と没交渉になることも当然選べる。けれど、周囲にいる限り、お互い病気の影響は、免れないので、そばにいるひとには、自分の情報を伝えて、お互いハンドリングできるようにするべきだ。今、現実に「接してくれる人」はいるので、その人たちを病気という台風に巻き込まないようにしたい。

無理をさせているのは本当に申し訳ないし、どうしたら償えるのかわからないけれど。

(そう思うそばで、発症の原因になった人たちは、何にも悩んでないし罪悪感もないんだなと思うと脱力しそうになる)

 

 

ただ、巻き込まないのはたぶん無理なので、安全に巻き込まれて、うまく飛ぶ方法を一緒に考えたらいいかなと思う。

 

 

「そばにいる人」に、病人と関わるメリットは、一見なさそうだけれど……。だから、生きていて申し訳ない、という気持ちになることもある。

 

だからといって、わたしが誰にも迷惑をかけたくないからと引きこもって一人で生きていても、結局迷惑は掛かるし、社会というのは、そういう弱い個体を生かすために存在するから、それは考えても意味がない。

 

そう、社会は弱い個体が生きるためのコストやリスクを分散させて、なるべく多くの種類の人間を生かすために存在している。それが人間の生存戦略だから。

なので、その進化の過程で生み出された自分のような人たちは、やっぱり生きるべきだし、まわりもあきらめてそういう人もいるだなと思って、こっちに慣れてもらいたい。

冗談みたいだけど。そして、現実に気分障害の人と関わっている人にはそんなのんきな話じゃないのもわかっているけれど。

気分変調をやりすごすやり方は、「普通の人」にも使えるんじゃないかと思う。

 

こっちが提供できるのは、病気を生き抜くためのノウハウくらいしかないけれど、それでも、私のことを面白いという人はいるから、多分面白いと思う。

 

そもそも、障害者や病気の人も生きられるような社会じゃないと、いわゆる普通の人や、元気な人も生きにくいはず。だって、元気な人なんていないから。ちょっとずつみんな不健康だから、それを認めて、不健康でも生きられる社会を作ったほうが生きやすい。建前では元気な人を基準に設計されている社会だけど、みんな元気じゃないものね。無理はやめて、基準を低くしよう。

 

精神疾患を持つ人の自己決定が取り返しがつくくらいの緩い世の中のほうが、みんな楽なんじゃないかな。



8月の目標は人格を安定させること

月に一回の診察でした。

今回は、子供が手足口病の疑いのある発熱と口内炎を発症して、受信日を変えてもらいました。

 

 

今月の目標:人格を安定させる

「同じことを言われても今日はにこにこしていたのに明日は激怒するとなると、あなたがどういう人なのか全く分からなくなってしまうから、心の中でいろいろ思っていろいろな面があるのはいいし、当然なんだけど、表に出ている人柄は、一定していないと、周りもどう扱っていいのかわからない。

だから、人格のコンダクター(指揮者)を用意して、人格を維持することに努める。

別人にならないようにする。今日はパーカッションがうるさいし、弦が静かすぎるということがあってもいいんだけど、今日はベートーベンの第三をやっているとか、何を演奏しているかというのがはっきりしていないとダメ。人が聞いて第三をやっているくらいの何をしているかがわかるようにしないと、周りがどう対応していいのかわからなくなる」

と言われたので

「自分の人格がこうである、というのが確かにはっきりしない。人にこうだ、と言われると、ああそうなんだ!とうのみにしまうし、人が親切にしてくれると、裏があるとは思わないで信じてしまう。

自分でも自分がどういう人間なのか、どういう人と思われているのかわからない。

水のシミみたいな気がする。水が形がなくぐにゃぐにゃしているみたいな気がする。シミがあると同じ形に染み付くみたいなくらいしか、人格が安定していないと思う。自分で自分がどうなのか全然わからない。自分がこういう人であるとはっきり言えない。

「自己紹介できるくらいの人格の輪郭がはっきりできればいい」と言ったら面白い表現だと感心してもらった。

 

「今は、自己紹介するほど人格がはっきりしない。自分でも統合失調症かと思うくらい人格が安定しないことがあった」

という話をした。

調子のいかんにかかわらず、人格を安定して表出させていくことを今月の目標にしようと思った。

 今は、人からは、明るく朗らかな人だと思われている……と思う。

それと、まじめ、とは言われる。あと、神経質なところと突然雑になる部分が混じっているとも言われたことがある。自分としては、気分の変調を外に出したくないと思う。

別人のようになるのも嫌なんだけれど、外に出すことで、自分の感情がより一層引きずられてしまうのが嫌だ。

 保留をする

先月の目標では一般化しすぎない、ということについて書いた。

 

c71.hatenablog.jp

 わたしは、うまくいかないと「あー全部だめだ死ぬしかない死のう死にたい何もかもうまくいかないのは私が悪いからでしょ」と言ってぐちぐちいう習慣があるのだけど、ぐちぐちいっても、何も改善しないから、やめようという話でした。

人に嫌われたからって全人類に嫌われていると思うのもやめるべき。

そして、一番大事なのは「嫌われていい人はいるしそういう人は嫌い返せばいい」ということです。

大事なのは家族だからそれを守るために嫌われるのは構わない。

 

嫌われたほうがいいくらいの人もいるんだから自分を守るためには、嫌われちゃっていい。それを恐れて、物事を解決しないほうがまずい。

 

今月の目標は、保留をするということ。保留をすることで、落ち着いて考える。対処するべきことと対処しなくていいことを分ける。

また、時間を置くことで、感情的になることを防ぐ。

自己憐憫におぼれて、現実的に解決しないといけないことから逃げると、事態が悪化するから、自分に都合悪い問題を解決するために集中しないといけない。

そのためには、自己憐憫も感情に流されるのもしないほうがいい。

感情に流されないというのは、訓練次第でできそうだ。

感情のスイッチを押さない、感傷的にならない、昔のことを懐かしまない。今を生きる!

 

情報に飛びついて、すぐに決めると、困るので、わからないことは保留する。

いろいろなことが浮上しては消えるけど、忘れることはそんなに重要じゃないこと。覚えているのは大事なこと。たいていのことは保留して、忘れても大丈夫なこと。

それができると、せかせか落ち着かない、焦燥感に襲われるということが減るはず。それが人格の安定につながるといいな。

 

 

人を疑う

人を簡単に信じるから危なっかしいと言われました。自分でもそう思う。騙されやすい。

 

人に親切にされるとこの人はいい人だとたやすく思うし、人が、荒唐無稽なことを言っていても、自信がありそうに見えるとそうなのかーと思っちゃう。

だから、いい意味で人を疑うことを覚えようと言われました。信じそうになったら一呼吸を置く。保留する。

これは、とても心配されているので、気を付けようと思う。

 

過集中と疲労

先生と話しているとき、集中して話を聞こうと思っていたら、先生の姿が網膜に残って、ぴかぴか光っているみたいになって、まぶしくなり、言葉の意味がバラバラになったのでそのことをそのまま言ったら、「それは疲労じゃない?」と言われてそうかーと思った。

「体力と集中力の限界で、話が聞けなくなった。それは、人によっては上の空だったり眠くなったり飽きたということで表現されるけど。意味が取れなくなった=聞けなくなった、ってことだから、疲労と同じじゃない?過集中かもしれないけど」と言われた。

そうか、それはあきらめるしかないなと思った。

 

人の話をできるだけ覚えていたいけど、覚えられない。

「記憶力は悪いほうじゃないと思うけど」とのことだった。

人格が安定しないし、気分は変調するし、いいところがなくて自分てくずだなと思ってどんどん卑屈になるという話をした。

「どうしてそう思うの?」と聞かれて答えられなかった。

答えられないことが自分の答えだなと思った。つまり、くずだと思う必要はない。特に理由がないんだから。

だから、

「変な人だけど魅力がある」くらいを目指しておこうかなと思った。

「病気は病気としてあるけど、それとあなたの人格や個性はイコールではないし同じ病気の人でも全然違う病気の表現の仕方がある。だから、病気のことで、自分の個性が消えちゃってるとか思う必要はないよ」と言われた。

「あと、魅力のある人になろうと思いすぎてあざとくなっても疲れるし、結局好かれはしないし、だから、結果的に魅力のある人になれればいいねと思うほうがいいよ。だって、魅力ある人になるってどうやるのかわからないじゃない?」と言われて

「とりあえず勉強しておこうと思います。勉強は面白いし」と答えた。

「生徒さんに小論文の人みたいって言われたのでそういう方向で考えます」

「小論文の人みたいって?」

「たぶん、起承転結を付けてしゃべって、内容が小論文観たなことを言うからだと思います」

「それはそれですごいと思うけどね」という会話もした。

今回気づいたこと

→以下は先生からのコメント

三日に一度くらいで躁鬱が転換する。

→先生からは、ペースが忙しいとのコメント。

疲れたり暑いと鬱に入る。

→鬱に介入して、「鬱をほどほどにしよう」というのは難しいから、「躁になったから、ルールを守ろう」という風にして、疲れすぎないようにする。躁が高いと鬱がひどくなるので、お金を使わない、情報や刺激に飛びつかない、人に会わない、家の中にいる、などの工夫をするといいよ、とのこと。

でも、「ルールを守れないし、お金を使ってしまうから困っている」と言ったら、まあそうなんだけど鬱の時に元気出すよりはやりようがあるからさ、とのことだった。

まあね、それができたらいいんだけどそれができたら苦労はしないっていうか。すぐになんとかできないから障害なのかそうなのか。それでも時間がかかっても改善するように努力しよう。

 

躁になると睡眠時間が短くなるのでそれを目印にしているが、爽快感はなく、ぐじぐじと考え込んでしまう。

→これは躁ではない。躁っていうのはすっきりしていてさわやかで何でもできると思ってかっとんでいるときだから焦燥感があったり、切迫感があるのは躁じゃなくて鬱だね、と言われた。もっと誇大妄想的なのが躁状態って定義だからそれは混合状態だね、とのこと。

 

 

結論

今回は、ルールを定めて、躁の時にルールを守る。

高く浮かび上がりすぎない。人格を安定させる。

刺激に飛びつかない。刺激を遮断する。

すぐに決めなくていいことは保留する。

 

ということに気を付けて生活したいなと思った。

 

 

最近は、子供が手足口病の疑いがあって、看病に必死で、勉強や、ブログ、ゲーム、映画鑑賞などがあまりできなかったので、そういうこともしたい。

子供は、最近、お手伝いをしてくれる。おもちゃ箱のものを全部ぽいぽい出すのがブームらしいけど、それを片付けていると、手伝ってくれる。そしてまたぽいぽいしてくれる。うんざりするけど、毎日笑いが絶えない。これはいいことだと思う。

自分が幸せだと思い込んでいるうちに、幸せになるだろうから、ぐちぐちぐしょぐしょ泣き言を言って、周りを悲しい顔にするのをやめたい。わたしが楽しそうだとみんな安心して楽しくなるだろう。

ラミクタール・エビリファイによる双極性障害エピソードの減少

コンサータを飲み始めてから二か月たちました。

それと同時に、ラミクタール(ラモトリギン)、エビリファイも増加して、

ラミクタールは、175㎎、エビリファイは100㎎出ています。

 

双極性障害エピソードの減少

躁状態のやらかしエピソードが減った

最近は、早朝覚醒中途覚醒、悪夢などがかなり減りました。だから、躁状態にあること自体が減ったと推測できます。

実際に、元気から鬱まで5段階評価の記録によると、だいたい、抑鬱(3)にあることが多く、元気(5)であることがとても少ないです。

それでわかることは、これが固定されたら、私にとっての「元気」というのは、躁状態にあったからそう思っていただけで、「抑鬱」くらいなのが平常モードなのかもしれません。それならば、抑鬱に関して、対策を練ることがいいんだと思います。

 

買い物をしすぎ亡くなった

今までは欲しいと思ったものがあると、飛びついて、大量に買うことも多かったのです。それは後から思うと、奇妙なものだったことも多いです。けれど、一度買うと執着心が生まれて、なかなか処分できず、家が片付かないという問題を生んでいました。

また、それは、お金の問題でもありました。

一時期は、自分が使ってもいいお金の範囲を超えて、家族のお金を使ってしまうということさえありました。

これは、病気のせいだとは言え、家族の信頼を失い、また、家計の計画に甚大な影響を及ぼすので、悩んでいました。

家族に申し訳ないという気持ち、自分が情けないという気持ち、自分をコントロールできない恐怖、罪悪感やおびえ、そういうものと毎日戦わなくてはならず、自分を追い詰めていました。

けれど、ラミクタールやエビリファイが増えるにつれそれらの衝動は収まりつつあります。

他にも、逸脱行為なども落ち着いてきました。

感情的になる、過剰に反応する、人の意見におびえる、自分の軸を持てないこと、精神的に不安定なこと、などは、病気の影響と、自分のもともとの考え方の癖のハイブリットであるため、改善するかはまだわかりません。

ただ、感情的になって、行動をコントロールできなくなる回数は減っています。

感情的になったときには、行動を停止する、離れるということが難しく、嫌なことがあれば、それを無視するのではなくて、それに興味が行ってしまい、ずっと考えるということがあります。これは、ASDの影響かもしれません。うつ状態のエピソードかもしれません。

 

うつ状態の変化

 

鬱状態に関しては、今のところ効果が出ているか把握できていません。

それは、体調不良として現れるケースがあり、そのときには、体調不良か抑鬱か区別がつかないからです。精神的なショックがあるときには、皮膚疾患、発熱、目が見えにくくなるなどで現れる時があります。

寝込み、抑鬱は睡眠時間のチェックによって把握できます。しかし、なんとなくだるい、気分が乗らない、億劫で日課を遂行するのにエネルギーが必要だ、ということは記録に残しづらいので、変化したかどうか把握できていません。

頻繁に泣く、「死にたい」「消えたい」「自分さえいなくなったらみんなが喜ぶ」、昔のことを思い出して延々と愚痴る、というのは、減っています。

今までが10とすると、5ぐらいになったかもしれません。

特に、朝そうなりがちだったのですが、暑いと感情がコントロールできないことに気づいたので、起きたら水を飲んで、エアコンを強くするという行動によって、機会を減らしています。

 

うつ状態のデメリット

感情は大切にしたいものですが、過度な感情の盛り上がりは、一日に一回でもあると、疲労困憊してしまい、感情や感傷に浸る以外の何もできなくなるという欠点があります。

そして、一日泣いているばかりで何もできないでいると、自己嫌悪に陥り、また抑鬱を深めるという悪循環があります。ラピットサイクラーなので、躁のサイクルに入ると、自動的にリセットされますが、鬱が深ければ躁も高くなり、やらかしエピソードに結びついてしまうので、コントロールしていたいことです。

うつの状況

うつ状態の時には、人に会うのが怖くなります。人から嫌われているんじゃないか、変だと思われているんじゃないか気になります。

今は、元気なので、嫌われたってかまわないし、変だと思われていても何の影響もないと思えます。嫌われているなら嫌い返せばいい、それもお互い様だと思えます。

 

傷つけられたとき、それを正当に感じて、相手に抗議する距離を取るなどの具体的な行動をとることと、不安におびえてびくびくすることとは大きく違います。

 

また、一つの些細な失敗を「だから自分はダメなのだ、死んだほうがいい」「死ぬしかない」と思ってしまうのは、「過度な一般化」です。

 

c71.hatenablog.jp

 これは、家族に対して非常に良くないです。

うつ状態への対策

自分の思い込みに固執して、相手のなだめる言葉を聞き入れなくなります。

うつ状態そのもの(なにもできない、寝ている)ことで迷惑をかける部分は少ないのですが、うつ状態から発生する「死にたい」「失敗したからもうダメ」というような行動は大きく迷惑をかけるので、気分が悪いことを、行動に結びつけないことが大事だと思いました。対策としては、やはり、「言葉に出さない」ことが大事だと思います。

自分で声に出して発音してしまうと、それを自分で聞いて、ますます思い込みを強めてしまうこと、家族に聞かせることで動揺させてしまいます。

思ったとしても、思ったにとどめておくことで、その気持ちを忘れることができるんじゃないかと思って、それをしようと思っています。

言ってしまったときにも、話を変えるなどしていけるといいと思います。

 

一般化しすぎない

少し前に、病院に行って精神療法を受けた。

カウンセリングも受けた。

 

最近は、心臓がバクバクするということを相談した。

 

それは、具体的に嫌なことがあるから、それを集中して考えて、対応するようにと言われた。

そして、そのことで、人に嫌われるのは、当然のことだから、お互いさまに考えると言いとのことだった。

お互いさまに考えるというのは、こちらが傷つけられたというとき、相手も傷ついているから、傷つけあうのはお互いさまで、仕方がないことだし、それはそれで堂々としていればいい、ということだ。嫌われたからと言って、自分を責めないようにすること。利害が不一致の時には、嫌われることを避けられない。嫌われてもいい相手がいる。

 

 

「人に嫌われた」ことから、「世間の人が全員自分を嫌っているような気がする」というのは、気のせいだから、過度な一般化をしないように、それは考え方の癖だから、と言われた。

 

確かに、誰かに嫌われたからと言って、世界中の人に嫌われることはありえない。とりあえず、病院の人と、今の家族に嫌われることはない。だから、自分を最悪だと思う必要はない。

 

わたしは、アドバイスを反映して生活するから、アドバイスし甲斐があるとほめてもらえた。

先月は、勉強とゲームと筋トレを頑張った。うつの時も、一問だけとく、一分だけ筋トレする、ゲームのスイッチを入れる、だけでもやろうと思ってしていた。

やる気は、出すものじゃなくて、やりながら自然とわいてくるものだから、最初のハードルを低くすると、やりやすい。一問だけ解いて本当に終わりにする時もある。

でも、一門でもやるとやらないとでは次の日の心持が違う。

だから、やったほうがいい。

 

筋トレも、もう三か月続いている。少しすっきりしたように思う。

料理は、今の状況だと難しいけれど、訪問介護の日に、ヘルパーさんに見ていてもらうことで、何とか出来ている。

肉を腐らせてしまうなどのミスをするけれど、まあまあ健康的な食事がとれていると思う。

日記も毎日書けている。

 

躁鬱の状況の把握を睡眠時間でしていて、それはうまくいっている。

睡眠時間のプロットがうまくできていない。

一般化に気を付けるようにと言われたから、今月はそれを頑張りたい。

 

今回は、病院に行ってから二週間くらいしてから書いたので、あまり覚えていなかった。

ブログに書くことで、復習ができ、生活に反映しやすくなっているので、次回は、速やかにブログにしたい。

ブログに書くこと自体も、最近は、怖いような気がしている。

おびえながら書くのはつらいけれど、もうちょっと続けてみようと思う。そうしながら、二十年くらい続いているのだし。