双極性障害・ASD・ADHD

生活上の双極性障害への工夫について

発達障害や双極性障害があっても楽しく生きられる(たぶん)

たぶん、今軽躁なので、割り引いて聞いてほしいのですが、療育なしの発達障碍者でも、けっこう楽しく愉快に暮らせます。やりたいことをやれる。

そのためには、工夫がいるし、自分を制御下に置くために苦労する必要はあります。

私は今数限りないルールを設定してそれをこつこつ守って生活している。

朝起きる。その後寝てもいいから。

顔を洗って身支度をする。毎日決まった服でもいいし、気分の上がる突拍子のない服でもいいから。

薬を飲む。食卓の横に薬を入れている。朝、昼、晩、それぞれの薬を縁がそれぞれ赤尾青黒の透明なポーチに入れている。それで服薬管理をして飲み忘れないようにしている。

起きたら洗濯機を回す。

機嫌が悪いことが多いので、朝食の準備と子供の世話はやってもらっている。

手間を最小限にするために、朝食はトーストとコーヒーのみ。

気が向いたらフルーツを向いて出すところはやる。

 

今までの部分は一人暮らしの時にもやれることだと思う。そのころは、朝起きる習慣がなくて寝つきも悪く、コンサータを飲んでもいなかったので、昼間眠くて居眠りしてしまうことがあった。今はそれはない。不眠でも、一度朝起きてそのあと寝るという風にすると、生活のリズムが崩れないと言われたのでそうしている。

 

洗濯物を干す。感覚過敏で濡れた布の感触が苦手だったけれど、コンサータのおかげでできるようになった。コンサータを飲むのをやめても、今までやったという実績があるから、できるようになれるんじゃないかと希望的観測を抱いている。

ヘルパーさんが週二で来るので、掃除と片付けをする。話を聞いてもらって安心したりすっきりしたりする。メンタルが安定する。

 

そして、それが終わったら、読書か勉強か、ゲームをして過ごす。

お昼ご飯はカップラーメン率が高い。

食べたら、台所にいる勢いを利用してそのまま夕食の下ごしらえをしておく。ご飯を研いでタイマーをセットしておく。

夕食は汁とメインの食事を作るだけのことが多い。気が向いたら副菜も作るけれど、だいたい作れない。作れるときにはたくさん作りすぎてしまう。

 

一日で火を使うのは一回にしているのは、ADHD由来だと思うが、ボヤを半年に一回くらいのペースで起こしてしまうからだ。

いつの間にかお玉がコンロにはみ出して燃えてしまったりプラスチックが解けたりしてしまう。

ここが次の課題だが、ハード面でなんとかなるのではないかという提案をTwitterでもらったので、検討してみようと思う。

 

調理が終わったら、ぐだぐだしたり、スマホをいじったりしてしまう。これは時間の無駄だからなんとかしたい。まだ工夫の余地がある。

 

夕方になると、夕食を温めたり調理したりする。そのころ保育園から子供が返ってくるので、食べさせる。

そして、時間になったら塾に行って働く。週二だけど。そこそこ収入になる。

他の日は子供と遊ぶ。最近はブロックが多い。

 

イライラするとその前兆に気づいて、薬を飲む。最近はなんと薬がなくても、イライラしているなと自覚するだけで、クーリングできるようになってきた。すごい進歩だ。

前はしょっちゅうかんしゃくを起こして泣いて騒いで疲れて一日を棒に振っていたが、それがなくなったのでゆっくりではあるけれど時間を前向きに使えつつある。

鬱の時は動けないし、軽躁になったら、楽しい時もあるが切迫感に突き動かされて大金を使ってしまう場合もある。

でも、それは、けっこう工夫によって解決された。他人の手を借りている部分もあるけれど。

それは現金を持たないということだ。お金の管理は家族にしてもらう。で、お小遣いをもらっている。

家族を頼れなかったら行政サービスでお金の管理をしてくれることがあるらしい。一回役所に相談したら、そういうサービスもいざというときになったらありますと言われた。実際には利用しなくてなんとかなったけど、いざとなったら自分の浪費を管理してもらえるんだと思うと安心した。

 

軽躁になると自分が何を欲しいかわからなくなって、欲しいに違いないと思い込んだものを買ってしまうのが自分で一番困ってるところだ。

 

でも、生活のリズムを付けて、失せもの防止に物の場所をきちんと決めてそこに必ず入れるようにできるようになって、生活は爆発的に改善した。

 

療育を受けていない大人でも、カウンセリングを受けてアドバイスをもらったり一緒に考えたり、またヘルパーさんを頼んだりして、生活力をつければ、それなりに安定することもあるんだと実証したい。

N=1にしかならないし、特殊な事情もあるから参考にならないかもしれないけれど。

 

最近になって、気づいたのは、何かを楽しむには教養がないと楽しめないということだ。

ゲームにしても、ハードとソフトを買って時間を費やしてやってみないと、楽しさはわからない。経験を積んで投資しないと楽しくならない。

花の名前を知っていたら、道に咲く花に気づいて、いつもより楽しくなる。

そういう経験や、楽しさを理解するための教養がないと、とっつけないし、趣味のタネが育たないので、教養は大事だと思った。

幸せには楽しさが必要だと思うので、いろいろチャレンジして、経験を積んだり、教養を蓄えたりして楽しくいきたいと思う。

 

自分の人生をコントロールしたい気持ちがある

昨日は病院に行き、診察を受けました。今日書くことは、カウンセリングや診察で話したことが中心です。

その中には、出産についてや性暴力被害についての考えも書いてあります。

 

最近は、何かするのにも時間がかかるということを言ったら、「発動性が下がっている」みたいなことを言われました。

 

鬱っぽいときに過去をじっくり振り返ると、鬱のフィルターで過去を評価するから、それほどひどくないことでも、まんべんなくひどい出来事だったと塗りこまれてしまうということを言われました。

 

認知というのは、認識だけじゃなくて、記憶や観察することにも関係があるらしいのですが、鬱の時には鬱のフィルター以外はオフになっていて、何を見ても鬱フィルターを通して認識するから、何もかも暗くなるそうです。

 

また、認知が向上した点としては、発作が起きる前に、前兆を察知して薬を飲んだり、気分転換して、気を取り直すことができるようになりました。

これは、薬のおかげではなく私自身のスキルだから服薬状況が変わっても残るものだと言われました。

 

そろそろ次の子を考えていますので、そうなったときに服薬を続けるかどうか、という相談をしました。

私はリスクがあっても飲みたいと思っています。それは、妊娠を期に全部の薬を切ってしまったことで、症状がひどくなり、回復するのに二年かかったからです。その機会損失や、子育てを楽しめなかったことを後悔しているので、多少のリスクはとっても、薬を飲んでおきたいという考えです。

 

先生は、最初、私が薬を切りたいと思っていたらしく、薬を全部やめてもいいと言いましたが、昨日話したら、飲んでいてもいいと言いました。

妊婦で実験するわけにはいかないから、対照実験できないので確固としたエビデンスは示せないものの、薬を飲むことで、影響が出ることに関して、それほど有意な差はないということを話してくれました。

妊娠で、ホルモンバランスが崩れて、健常だった人も精神疾患を発症させたり、もともと精神疾患があった人が、悪化したりということはよくあるそうです。それが劇的な症状であることも話してもらいました。

 

出産についての考えです。

妊娠中に薬を飲むことや、薬を飲まざるを得ないような人間が出産を望むことに否定的な人がいることは知っています。

障害がある人が子どもを持つことは、子どもが不幸になるとか、子どもにも障害が遺伝するのではないかとか、私もネットで言われました。

私はそういうことを言われるのはショックです。言われたくない言葉です。

子どもを何のために持ちたいと思うのか、問われることも本当は嫌です。それは、個人的な話だからです。

でも、万全な状況でないのに産むのは、子どもへの虐待だという人もいます。

 

生まれた子どもは祝福するが、生まれる前でとどめられるなら、子どもを産むべきじゃないとか、子どもを産むのは(押し付けられた)義務だから、それを拒否するべきで、権利だというのは愚かだとか、そういうことを言う人もいます。

 

私もなぜ子どもを持ちたいと思うのか、答えは出ません。

子どもを自分の幸せに巻き込もうとするのはよくないのかもしれません。

 

ただ、私は挑戦したいのです。私は自分の人生を切り開いていきたい、自分の人生を自分の意志で切り開きたいという気持ちがあります。それが無力感の罠から逃れる一つの方法だからです。

残念ながら、私の病気は、自分をコントロールすることを難しくする病気です。人生をコントロールすることも難しいです。

気分のアップダウンが、正常な判断を妨げます。

だから、私のような病気を持つ人には、判断力がないという人もいます。

でも、思うのですが、だれでも気分に影響された不完全な判断力をもって、自分の人生を決定しており、分かれ道のはざまで、どちらを選ぶか悩んで座して死ぬより、どちらかの道を選び、その景色を楽しんでこれが正解だったと言い聞かせているのです。

 

人生は選択の連続で、後から振り返って、これが正解だったか知りたいと思っても、同じ人間が同じ人生を送っているか対照することはできないので、正解はわかりません。

 

私は見知らぬインターネット上の人に、子どもを持ちたいと願うことを、どれだけ嘲笑わられても、やっぱり子供は欲しいと思います。

その理由は陳腐ですが、陳腐とは何かを言い換えれば普遍的な理由になるでしょう。

私は自分が見た景色を美しいと思っています。優しい人や、心を豊かに、穏やかにしてくれることがたくさんありました。それを喜ぶのは人生の良い面です。

良いことも悪いことも知らないままでいるよりも、良いことも悪いことも知って生きて死ぬほうが素晴らしいと思います。

 

なんで生きるかとなぜ産むのかは同じ理由なはずです。なぜ生きるかの答えはありませんが、答えがないまま、生きているほうが死ぬよりもましだから、死ぬことはいつでもできるから、一日ずつ後回しにすることで生きています。それは苦しみの先に、素晴らしいものがあるはずだと信じているからです。

 

 

カウンセリングで、性暴力の被害に遭ったせいで、苦しいことを相談しました。

自分の体のコントロールを失ったことが、今でも尾を引いていて、自分を気持ち悪く感じることと、その苦しさのせいで、二十代をどぶに捨てたような気がすることを話しました。

性暴力の苦しみは、だいぶ薄らいでいますが、体調を崩して二十代に得るべき経験をできなかったことは、本当にいつでも苦しく思います。その喪失感が私を苦しめています。あれほど苦しみたくなかった、苦しんだことで時間を無駄にした、と感じてしまいます。私に苦しむか平気でいるかの選択の余地はなかったのですが。

 

あの経験をとらえなおして、どこかに価値があるのだと思いたい、合理化したい、という気持ちがあります。あの苦しい十年間に意味がなかったのだと思うことは、本当につらいことなので、何らかの意味があったのだと思いたいのです。

 

たぶん意味はなく、また、意味があったところで、過去は変えられないのですが、変えられない過去だからこそ、とらえなおすことで、意味を書き換えて、自分の人生を自分のコントロール下に置きなおしたいと思っています。

 

私は二十代の最後に、また、暴力に遭って、抵抗するときに、左腕の神経を引きちぎられたことがあります。でも、その時は、大声を出して、抵抗もできたので、今ではそれほど心の傷になっていません。当時は、安全、安心だという感覚が失われて、恐怖で一人で外を歩けないくらいでしたが、今では平気です。それどころか、抵抗できた自分を誇らしく思う気持ちさえあります。

 

抵抗したことで、殺されなかったのは単に運がよかっただけだと思います。でも、抵抗するかしないかが、自分は状況を判断して行動できるのだ、という自信を得るのか喪失するのか、大きな境目でした。

 

私は、自分の二十代の苦しみをとらえなおすことができるだろう、という希望を持っています。楽しめなかったとは言え、二十代にやるべきことはやり遂げているので、その側面を振り返ることができたら、記憶の中にある過去の評価を塗り替えて、自分の人生は豊かだったといえると思います。

私は、「死にたい」と思うことがありますが、病気がそう思わせていることなのだ、と思って分けています。

私の人生に起きたいくつかの出来事は、ろくでもないことでしたが、それでもなお、どこかで、人生は素晴らしいことだ、これから先に必ずもっと豊かで美しく、暖かい経験が待っているはずだと信じています。そしてその経験が私を作り変えてくれるだろうということも、疑っていません。

 

この希望を持つということが、予期せぬことがあっても、なんとか切り抜けられるだろうと自分を信頼するために必要なことです。私には、自分の人生や体をコントロールできると感じるためには、自分の判断や、行動で、結果を変えられると信じられることが大切なのです。

 

将来は不確定だから、信じていても、そんな経験が待っているとは限りませんが、泥の中で咲く蓮を待つのと同じことだと思っています。

この期待や、願い、希望があるので、苦しみの中で咲く喜びを見たいと願って、今日も生きています。

 

 

ケア会議があった

今日はケア会議があった。

 

最近の調子について話した。

一月から鬱で安定していて、体が動きにくいが、躁とは違って、お金を使いすぎるなどはなくて、これはこれで過ごしやすい。ただ、やっぱり鬱なのでしんどい。

 

自己モニタリングはだいぶできるようになって貧困妄想などが出ても、現実と感情は別だと切り分けられているので、対処できている。

 

また、パニックなどが出てくるとその前兆に気づいて、頓服を飲めるようになった。

今までは、躁鬱が安定していなかったので、前兆なのか、多動なのか、わからなかった。躁だと自己モニタリングもできなかった。

一月から五月は十時間睡眠の過眠だったけれど、今は躁鬱混合で、七時間睡眠になっていることも話した。

薬は相変わらずラミクタールと、エビリファイコンサータ

一年前はラミクタールを飲んでいなかったらしい。

なので、それが変わった部分。

今の主治医は、先の見通しを教えてくれ、今飲んでいる薬の効き具合も、聞いているからこうなっているなどかなり話してくれるので助かる。

先月は電話診察で、今月は、対面の診察になることも話した。

 

ヘルパーさんの来た日は水回りの掃除をできるようになった。寝込んで頼むことはしなくなった。

今までは家事援助三時間、身体15時間だったけど、家事援助はもう使わないからなくしてもらった。

 

他にもいろいろ話した気がするけれど疲れてしまったのでメモ的に。

 

電話診察・鬱寄りの混合状態

今日は電話診断だった。

コロナの影響で、電話診察もOKになっており、ラミクタールとエビリファイは二か月出してもらっていて、コンサータは一か月なので、診察をお願いする電話をした。

木曜日に電話予約をして、月曜日の朝に電話がかかってきた。処方箋は、薬局に送ってもらえる。

 

やっぱり、先生の声を聞くと落ち着くし安心する。

確認したいことも聞けたので良かった。

 

今自分がそわそわしていて、落ち着かないこと、睡眠時間が六時間くらいで、朝五時くらいに目が覚めてしまうことや、買わないといけないものが買えないことなどを話した。

睡眠時間が短いから躁かなと思っていたけれど、鬱に近いらしい。

思っていることやわかっていることが言葉にならない、というのも、「思考渋滞」という鬱の症状らしかった。

思っていることから気がそれてしまって言い忘れたり、思っていることが言葉に出せなかったりしたり、ぶつぶつと途切れ途切れになることが多いのは、発達障害の凸凹なのかなと思っていたけれど、もしそうなら常にそうなるから、今だけってことなら鬱の症状だということだった。

 

高齢者が鬱になると、痴ほうを疑われてしまうのは、思考渋滞になって言葉がうまくでなくなるかららしい。

 

私は躁になると、言葉が止められないくらいポンポン出るから、そういう感じじゃないから、今は、鬱だろうという見立てだった。

 

病気のレコードを取るのは大事だ。

最近、「保育園に預けず自分でみたい日もあった。一日くらい子供を休ませたかった」と泣いてけんかをしたのだけど、そうしたら「それどころじゃないくらい具合が悪かった。日記を見てみればいい」と言われて、この時期の二年分の日記をさかのぼってみたら、具合が悪かったことが書いてあり、配偶者の言うことは間違っていなかったということがあった。自分で覚えているよりも具合が悪かった。

 

なので、自分がどういう状況なのか、冷静に見るためには、一言だけ「具合悪い」だけであっても、書けばどういう状況か、後でわかってよい。それがわかると、春は調子が悪い、とか、去年よりはましだということも分かる。だから、五年日記を買ったのはとてもいいことだった。

 

 

先々月に、先生が「不自由がなければいいじゃない」と言った。それをなんでかよく覚えていて、先生は何の気なしに言ったんだろうけれど、私には響いた。

そして、不安になったり、うまくいかないことがあったり、自分の体の問題(目が悪いとか歯が欠けたとか)、そういうどうしようもないことについても、「不自由はないからいいじゃない」と自分に言い聞かせることで楽になる。問題の先送りもできるようになった。それを言ったら、言葉に対して鋭いと言ってもらえて嬉しかった。

鋭いですか、と聞いたら、オリジナリティーもあって話していて面白いと言ってもらった。

また、病気のことを書き留めてみせますと言ったら見せてもらいたいと言ってもらった。

書くと、自分で知らなかった気持ちや、考えが出てきて、「実はこういう風に感じていたり、考えていたのか」ということがわかって、ちょっとすっきりする。

 

 

 夏まではコロナが落ち着いているだろうけれど、秋になればまた状況がわからないとのことだったので、行けるうちに顔を見たいと伝えて、次の診察は来月になった。



先生は「どうせ自粛だからおとなしくしていられるんだと思えばいい。もし、躁だったら、外に出たいのに抑えるのが大変だから鬱にもよい面があると思うってやりすごして」って言った。それは本当にそうだ。

もう、自粛ムードが明けてきたけれどどうか、と聞いてみたら、まだまだ自粛だと返ってきた。先月は、恐れすぎてもよくないと言っていた。先生のスタンスは変わっていないはずなので、どういうことかというと、先月はたぶん、私が極度に恐れすぎていて、今月は、私が楽観的になりすぎているんだろう。

 

もっと夏めいてくれば、鬱状態も減って、元気になる。来年は、春に鬱っぽくなっても、気にならないくらいに元気になるかもしれない、今は具合が悪いかもしれないけど、ずっとじゃない。

私は、躁になることを恐れているけれど、気分だけで言えば、躁のほうが気持ちは楽なので、そのいい部分を見て、躁をコントロールすることを目指せば、躁でもちゃんと暮らせるんだと思えばいい。躁になってから、躁的な行動を落ち着かせるのは難しいけれど、躁の入り口で、それをキャッチできれば、行動をする前に相談するとか、またはもっと違う方法でかはわからないけど、波を低くする工夫ができるはずだ。

前主治医も、工夫が大事だとよく言っていた。変えられないこともあるけれど、乗りこなすための工夫で、暮らしやすくなると言っていた。

 

 

私は言葉にできないくらい細かい工夫をたくさんしている。

なんとか言葉にするとこういうことがある。

ライフハックなんてすごいものじゃないけど。

日記を書く。人に相談する。ヘルパーさんに来てもらって、身の回りのことをしてもらうだけじゃなくて、外から観察してもらい、自分の状況が客観的に見てどうか、とか、ケアマネさんを通して行政につながって孤立しないようにもしている。

躁になったり、多動が出たりすると、お金をバンバン使ってしまうので、お金の管理を人に頼む(今は配偶者にしてもらっているが、行政がしているお金を管理してくれるサービスも検討していた)。

 

食べ過ぎないようにする工夫もある。食べ過ぎない工夫は、前、栄養バランスを崩さないで食べないといけないという不安が強くあったから、それを補うために食べたり、眠気を押さえたくて食べたりしていたのが、一つ目は栄養バランスはなかなか崩れないものだと考えを変えた。体調を崩すのが不安だったから食べていたけど、食べ過ぎて太り、体調を崩すということがあってそれは本末転倒だったとわかったから、その事実をよく考えた。

野菜を毎日採る、採れなかったら野菜ジュースを飲む、たんぱく質は三日スパンで考えて、一日一食だけでも採れたらいいくらいに考えるようにした。足りないと思ってから採るのでも間に合う。おなかがすいたらどうしようと思っていたけれど、すいてから食べればいい、すいても別に困らないと考えるようにした。

 

バッグも毎回入れ替えて、荷物が重くならないようにした。財布とポーチ、スマホだけは必ず入れるようにしている。無駄なものがたくさん入っていると、かえってなくしものをすることが多かったので。そして、無意識に物を置いてなくすことが多かったので、意識したり、習慣づけたりして同じ場所に置くように変えた。

 

こういう細かい、言葉にできないような工夫を積み重ねていけば、生活が落ち着き、生活が落ち着けば、躁鬱もちょっとは乗りこなしやすくなるはずだから、それを目指して心掛けていきたい。

手が痛く、感覚過敏もつらく

最近はそれほど調子が悪くないと思っていたのだけれど、じわじわと病んでいるなと思ってきました。

まず、きっかけになったのは、手湿疹です。

掌全体の皮膚が剥がれ落ちてしまい、亜鉛華軟膏でほごしているものの、皮膚ができてはまたかゆみでひっかいて裂けてしまうというのを繰り返しています。

 

それで、体がしんどくなっていました。

感覚過敏もつらくて、今まで着られた服の感触がダメになったり、締め付けていると感じたり、色がダメになったりしています。

しかたがないので、大丈夫そうな服を買いましたが、今度は、服が多すぎるから捨てなきゃとなってそれはそれでツライです。

 

夜も眠れなくなってきて、起きているんですが、主に食べてしまっています。太るからヤダなと思うんですが、食べちゃって、自己嫌悪に陥ってつらいです。太ったんじゃないかと夫に聞くけれど、きのせいじゃない?と言われています。やさしいうそなんじゃないだろうか…。

 

コロナの自粛が強い頃は、情報にさらされに行くと病むなと思ってあえてみないでいたのですが、自粛ムードが明けて、油断してみてしまっていたのが、敗因かなと思います。

あと、買わないといけないものがあって、それを選ぶことで、ちょっと悪いハイになっているんじゃないかなと思います。ハイにも楽しいのと楽しくないのがあって、今きているハイは楽しくないですね。焦燥感と緊張感がある。

 

ニッセンでウッドシェルフを買おうと思います。ニトリで買おうかと思ったけど、思いついてシェルフで検索したらいろいろでてきたんですが、ニッセンのにしようかなと思いました。ニッセンの家具は買ったことがあって、けっこう信頼しているので。無印や本棚屋でもいいんだよなとまだ迷ってはいますが。

 

 

感覚過敏がつらいと、家の中にいる間は時計をはずしたり、服を脱いだりしがちです。

ほっとフラッシュみたいな感じで冷や汗をかくんですよね。それで暑いのか寒いのかわからなくなります。

 

躁か鬱かで言うと、睡眠時間から考えれば、たぶん躁なんです。気を付けないとな。

毎日何かしら気を付けて慎重に暮らして、気分の変調を悪化させないように薄氷を踏むような気持でいるんですが、躁の時には相談しないで大金を使いがちなので、なるべく何かする前には相談するようにします。なんでも許可を取る人間みたいで情けなくなるんですが、しかたがないです。

#世界自閉症啓発デー に関して

私はASDと診断されている。

 

 

ASD単体ではなく、疾病が組み合わさっている

 

ASD単体よりも、双極性障害ADHDの多動が組み合わさって、困っていることが多いと思う。

こだわりと衝動性、多動が組み合わさると、火のことを忘れて火事になりかけたり、散らかしてしまったり、多額の買い物をしてしまったりする。イライラして、かんしゃくを起こして、叫びだしてしまうこともある。自分で自分のことを許せなくて、たたいてしまうこともある。夜中にひたすら模様替えをしてしまうことを一か月続けることもある。寒暖の差にも弱く、いつも疲れ切ってしまっている。同じものをずっと食べて、栄養が偏り、太ってしまったこともある。

 

ASDだと空気が読めない、だとか、アスペとか、ガイジだとか心無い言葉を使う人がいる。

でも、実際には、そういうことを言う人ばかりじゃなくて、理解してくれる人もいる。

私は今、アルバイトだけれど働いている。

塾講師の仕事は、環境や場面、会話内容、目標が限定されていて、人も毎回同じ、時間も夕方から夜で短いから勤められるのだろう。

自分の困難を伝えるすべを身に着けた

私はおそらく積極奇異型だった。人間関係には苦労してきた。周りの人に迷惑をかけていた。しかもADHDもあるから、衝動的に人と関わるので、事態を悪化させてきた。

発達が遅く、同年代の人と話が合わなかったので、年齢が高い人と接してもらうことが多かった。同年代の人に比べておそらく幼かった。

だから、それを大目に見てくれる人と仲良くさせてもらっていた。

 

けれど、私は積極奇異だったからこそ、人に迷惑をかけて申し訳なかったけれど、トライアンドエラーが繰り返せたので、自分が困っていることを伝えるすべが磨かれ、大人になってから支援とつながれた。

 

それまでは、散らかった部屋に住むと、混乱して具合が悪くなるのに、部屋の片づけができず、双極性障害もあいまって横になって寝ていることも多かった。

外に出ると、音やにおいの刺激が強くて疲れ切ってしまう。

躁状態の時に、こだわりが強さが災いし、ADHDの多動と衝動性が加わって、同じものを何度も購入してしまい、多額のお金を使い果たしてしまった。今は落ち着いているものの、あれが続いていたら、人生が破綻してしまっただろう。

 

そうした苦労から生きのびたのは、医療と社会の制度のおかげだ。

今は、一週間に二回ヘルパーさんに来てもらい、話を聞いてもらいながら、一緒に片付けや掃除をしている。それで気持ちが落ち着いて、部屋も刺激が少ないように整頓できている。

脳の特性

私には脳に特性があって、多くの人とは違うものの考え方や、感じ方をする。自分でどう違うのかわかれば、対処もできるけれど、脳が違うので、いろいろなことを観察して、考えて、対処するしかないので、時間と労力がかかる。だから、自然にできる人に比べて、疲れやすい。

流れに沿うことができなかったり、場にそぐわない行動をしてしまって、誤解を受けたこともある。

その誤解を解くために、障害のことを話せばわかりやすいのかもしれないけれど、障害について、差別をする相手だったらと思うので、障害のことは出せない。また、障害に理解がなければ、障害を言い訳にして、自分の失敗をごまかそうとしていると思われるのも怖い。自分でも、障害があるから仕方がない、ということと、障害があるのだから大目に見てもらって許してもらおう、ということが、ずるさと言われてしまえば、そうかもしれないと思うし、どう違うのかわからなくなるので、黙っている。

 

私には幸い得意なことがあるので、それを武器に世の中を渡っていくことが何とかできそうだ。でも、得意なことがなくても、幸せに暮らせることが理想だと思う。それは、ASDであってもなくても、そうだとよい。今はそうじゃなくても、いつかそうなるとよい。

ギフテッドという言葉について

よく、ギフテッドという言葉で、自閉症でも、得意なことがあればいい、という風に考える人もいるけれど、それは「自閉症でも特技があれば特別に許してあげよう」という考えと近づきやすく、私は「役に立たなければ世の中に必要ない人間なのだ」というメッセージに受け取ってしまうので、ギフテッドという言葉がつらい。

自分が特別な人間じゃないとわかっているので、才能があるはずだと期待されることがつらい。今は、そういう人が身の回りにいないし、そもそも自閉症だと打ち明けている相手が家族と職場の人と医療と介護の人だけで、全員理解があるので、才能を期待されることがないのでとても気が楽だ。

 

人のいいところを見ようとすることと、ギフテッドじゃないのかと才能を探すこととは、似ているようで違う。

前者は、あるがままを受け止めるというスタンスを感じるけれど、後者は役に立てば障害を許してあげるというスタンスに感じる。

病院に行けという言葉が悲しい

本当に、障害があって、足りない部分があっても、それを補うならば存在を許してやるというスタンスの人はいる。いるし、何かあると、人に「病院に行け」という人もいる。

この言葉は、精神疾患の人を区別して、さらに、病院に行って隔離したいという願望を感じる。また、障害者を病院に丸投げして、社会がもつ責任を果たさない。病院に行けば、障害は治るという誤解もあるので、病院に行けという言葉は苦手だ。

私は、存在を許してもらう必要はないと思っている。

確かに、障害ゆえに、迷惑をかけたり、負担をかけたりすることは間違いなくある。配慮を求めることは、求められる人にとって、負担だろう。

だから、こちらも、求める相手に対して、親切な気持ちや、前向きな気持ちをもって接する必要があると思う。

それは、前に書いたことと矛盾しない、お互い気持ちよく暮らすための工夫だと思う。

あえて、私たちと書くと、私たちは、確かに存在していて、存在を消すことができない。存在を消すことができない者同士が、共存するためには、お互いの理解が必要だ。

だから、私は、ASDではない人の特性や、苦労を知りたい。その中で、自分との違いが分かれば、その違いの溝を渡れる日が来るはずだ。

 

結婚式の時に、祝福の場なのに、結婚する人たちへの皮肉を言ってしまって、友達にたしなめられたことを今でも覚えている。私への理解と思いやりを感じた。嫌悪はなかった。私は時間がかかったけれど、それが悪かったとわかった。

 

普通の人に擬態するのはとても疲れる。脳の違いをごまかして、観察と記憶をもとにトレースする。普通なんてないという人もいるけれど、私から見ると普通はある。

私は、世の中の多くの人と脳が違う。それぞれ脳の違いはあるけれど、大きく違う。そうした目線から見ると、普通はあると感じる。私は自分を普通から外れていると感じる。

それは、寂しいことではあるけど、悲しいことではないと思う。

自分の障害は自分に合っていると感じる

私は自分の視点を面白いと思う。そして、人から興味を持ってもらうきっかけになっていると思う。ネットでは、自分の障害を明らかにしているので、自己紹介の代わりになる。時には、それが人を惹きつけるフックになっているとさえ思う。

障害があってよかったなんてとても思えることはないけれど、自分で障害を乗りこなしていくことはできると思う。

年齢の効果によって、感覚や感性が鈍くなり、そのために苦しんでいたことが薄らいできた。

双極性障害は二次障害だ。二次障害になると、人生の終わりだみたいに言う人がいるけれど、良くも悪くも、まったく終わりではない。そのあとも人生は続く。

善い面を言えば、自分なりに楽しいことも喜ばしいこともある。できるようになって嬉しいこともある。それは、できないという状態があるから嬉しい。できないことが多い人のほうが、喜びの純度は高いと思う。できるのが当たり前の人は、何かできたからと言って、いちいち喜んでいないんじゃないだろうか。

 私の障害に向き合ってくれる主治医の先生、心理士さん、ヘルパーさん、私の障害を知らないけれど大目に見て一緒に時間を過ごしてくれる友達がいて、私は幸福に暮らせている。

大変なことも多いけれど、やりくりができるならばそれでよいと思う。

大切なのは人だ。人と関わるのが難しい障害だけれど、だからこそ、良い出会いも多い。人に救われている。

双極性障害、発達障害への受容が少し進んだ

眼科の病院で「自分の体を完璧にしたいと思うのは支配欲で自分を苦しくさせるから、何もかも受け入れて過ごしたほうが幸せだよ。あれがダメだこれがダメだと言っていると、自分のことばかりになり、不幸せだから、人のために生きたほうがいい」と言われてそれもそうだなと思いました。

自分のことばかり言っていると、自縄自縛になります。視野が狭くなって、自分や過去について細かく細かく掘り下げて考えて、自家中毒気味になるので、自分のことは深く考えずに、人に親切にしていたほうが楽だなと思いました。自分のことを考えているよりも周りのことを考えているほうが気楽です。

これが行き過ぎると自分の人生を放棄することにもなるんでしょうけれど、適量を守れば、人のためになることで自分が楽になればこんなにいいことはないです。

 

そのため、仕事を一生懸命やって喜んでもらうとか、バイト仲間のスマホの設定や、料金の見直しを一緒にするとか、そういうことをしていると「優しい」と言われるようになりました。

人が変わったと四人くらいに言われてちょっと気をよくしています。

そして、薬が効いてきて、落ち着いて物事を考えられるようになり、短慮で人と喧嘩をしたり、付き合い方を誤って、人を傷つけたり自分を傷つけたりすることも減ってきました。

 

年齢による効果で、気分のやり過ごし方、常識のわきまえ方を知ったと思います。

周囲に常識が全然ない人に意地悪をされているのですが、そういう人でも恥を知らずに生きていられるんだから私もまあ生きていてもいいかなと思います。

 

人の役に立ちたいと思いすぎても、「役に立てないのだから生きていても仕方がない」と思ってしまいますが、人の役に立つという結果じゃなくて、人のために何かできることを探してみるという過程に目を向ければいいのかなと思います。

 

私は今、自分の障害、疾病をそんなに悪いものじゃないと感じています。

これを言ったら主治医は静かに喜んでくれ「何も付け加えることはないです」と言っていました。

今後、薬が減ることはないけれど、効果が安定してくるからもっと楽になるとのことでした。

 

 

自分の障害が自分に合っていると思った理由、それは、私の障害や疾病が脳の特性によるものだから、自分のキャラクターと密接につながっているので、これらがなければ、私は私じゃないと感じるからです。

また、これらの特性は、人の魅力のフックになっていると思います。人の魅力は、とがったところとへこんだところだと思います。どれだけとがっているかへこんでいるか、そのこと自体が人を惹きつけるのではないかと思うのです。

へこんでいるところやとがっているところは、自分に向けば苦しいばかりだけれど、他人が愛情をこめてみれば、そこは愛すべき特徴に変わるのだろうと思うのです。ただ、愛情をこめてみてもらうためには、人との接し方を工夫しなくてはなりませんが、その工夫の先には愛があるはずです。

 

特性が害を与えることとの裏表として、善い面もあるのではないかと思います。

人の弱さや苦しみに対する共感や、ある種の、ささやかなカリスマ性のようなものや、思いやり、深くものを考えることは、私の特徴です。

愚痴をこぼすときも、相手が面白がれるようなエンターテイメント性を持たせて話す才能があると言ってもらえました。

(自分が愚痴を言ってすっきりもするし、相手もドロドロした昼ドラのような話が聞けて面白い、というような愚痴のスタイルを目指しています。主治医にもそういうタレントがあると言ってもらえました)

裏表なく人と接すること、うそをつかないこと、誠実に過ごすということは、私が心掛けていることでもあり、そして、自分の特性に合ったやり方だとも思います。

 

塾でもほかの先生がさじを投げた発達障害よりの生徒さんを持っていますが、障害があるからダメとは考えずに、自分もそうだからこそ、障害があるから寄り添って話そうと思います。

 

私は、自分の障害が、自分にあっていると思います。ほかの障害だったら相性が悪くてもっと苦しかったのではないかと思います。

頭が悪くないということが自分自身の中で一等好きです。

私は独自の視点で世の中を見られることが自分でも面白いと思います。それは、発達障害ゆえなのかもしれませんし、双極性障害ゆえの始点なのかもしれませんが、どうやら人とは違うようです。それは、脳の性質が違うからなんだと思うと、本当に愉快だなと思います。私が自然に発想し、奇をてらっているわけではないことが、人から見ると変わっていると感じられるならば、それはよいことだと思います。

 

私は自分が生きていくうえで、エンターテイメント性を重視しています。面白かったからそれもよいという考え方です。そうすると、悲惨なことが起きても、何とか生きられます。退屈なのは性に合いません。こうしたスタンスがひどい状況を引き起こしたことが何度もあります。けれど、自分の中でこもっていても、外に出ても、時間は進みます。自分の心の時間を動かすのは、外に出たときです。そして、外に出たときの経験をもとにお話を考えることが好きです。

 

若い頃は、糸の切れたタコのようで衝動性も強く感情が高ぶり人に迷惑もかけていたと思いますが、今も仲良くしてくれる人はいて、そうした人は私に魅力を感じてくれています。十代という一番私が自分を持て余しているときに友達がいたということは大きな自信になります。

私は、大学生のころ祖父の介護をしており、また、その時はうつ病という診断だったので、長期休みを遊んだこともなく、本を読んで過ごしていました。

うつ病なのに介護に駆り出されたことはひどいと思います。恋人も七年くらい付き合った人がいましたけれど、後半の三年はぐちゃぐちゃで相手にされていなかったように思います。でもまあ、面白いこともあったし、こういう私と一緒にいてくれて、まじめに考えていてくれたのはありがたかったし、その時に人との信頼関係を覚えたと思います。

十代二十代は親のことで悩んで人に面白くもない愚痴を話していました。今も愚痴は言いますけれど、周りにおもしろいと言われる愚痴を目指すようになってから、人間関係が良好になってきたと思います。

 

私は結構人に騙されたり襲われたり裏切られてきましたけれども、結果的に人を信じて信頼する心は失わなかったのでそこは、自分でも才能だと思います。本当に良かったと思います。

 

人と人との関係の中で、私も変わってきたと思います。障害をカミングアウトしても’(しなくても)、変わりなく接してくれている人が増えました。親せきは私を葬式にも呼ばなくなりましたが、私が自分で選んだ人間関係の人たちは、私の欠点も含めて愛してくれていると感じています。

 

私は今過眠の鬱で一日十一時間半規則正しく眠っていますが、眠れない鬱よりもいいと主治医に言われており、本当にそうだなと思います。昔なら、自分が鬱だということが自分でかわいそうでつらく思っていましたが、今はつらくありません。

つらいことを避けているからでもありますが、そういう取捨選択を自分でできるようになったのは、年齢の効果だと思います。この年齢になるまで自分を育ててきた自分の成果だとも思います。周囲のおかげでもあります。これは、他者に対する感謝もありますが、もう一つの気持ちがあります。

それは過去の自分が周囲が理解できるように、説明を一生懸命したせいだろうと思います。

誠実を積み重ねていくと、相手にも理解する余地、余裕が生まれます。例えば、接しているときに、相手を限界まで追いつめてさらに理解を求めることには無理があります。

だから、相手を追い詰めないで余裕が持てるようにこちらも接して、信頼を築いてから、こうしてくれると助かるということを小出しにしてきました。そしてそれがうまくいっていると思います。

 

だから、人のおかげであることをもちろん重々承知していて感謝もしているけれど、うぬぼれも含めてあえて書けば、まず自分ががんばってきたことがあり、人間関係を形成してきたからこそ自分の障害を自分に合っていると思えるようになったんだと思います。