双極性障害・ASD・ADHD

生活上の双極性障害への工夫について

躁鬱でも決断しなくてはいけないときの工夫

今日は病院に行きました。

最近元気だから躁状態かなと心配していたのですが、ただ元気なだけじゃないかということでした。

今がゼロ地点だからそれを覚えていて、ニュートラルな自分を覚えておくように言われました。

今は元気で落ち着いていてつつましい気持ちです。

 

躁状態の時の気持ちは、いろいろなことをどんどん思いついて、頭を衝動に支配されていて、思考の方向を強制されているような気がします。

とんでもないことをしているときにも、冷静に観察している自分もいて、でも、その時分はなすすべもなく土砂災害で流されていく自宅を見ていくような悲しさと諦めと叫びたいような気持でいます。

鬱の時には、絶望の中で寝ていて、何を見聞きしても悲しくなり、自分はダメなのだ、という方向に思考を強制的に持っていかれているような気がします。その強制力の源が病気なのです。

 

躁状態でも鬱状態でも、思考を病気によって制限されて、考える方向を強制されているような感じがします。

 

今は、自分で躁状態じゃないかと、心配しているという時点で躁じゃないと言ってもらえました。

本当にかっとんでいるときには、躁状態じゃないか心配するゆとりがないということでした。

 

最近工夫していることは、記録を取るということです。睡眠時間と気分のグラフ、日記は欠かしていません。

 

日記には、何があって、どんな気持ちになり、どうしてそうなったのかを分析している部分と、いいことがあったならそれを書くようにしています。

自分では分析が好きなので、病気という状況を観察して自分がどんな風か確認しているのがおもしろく思います。

 

最近は大きい決断をするために、調べたり、デメリットメリットを比較したりと準備をしているという話をしました。

デメリットメリットは、両方とも書きだして、数の多いほうを採用するという手法を取るので、大きな決断で失敗したことがありません。

 

選択というのは、資源の割り当てです。

資源というのは能力と時間です。

能力と時間をどのくらい振り分けるのか決めて、そのあと悩まないということが大事です。だから、決断の前に悩みます。あとからこうすればよかったと思ったときは、デメリットメリットを書きだした紙をもう一度見て、これしか選びようはなく、選択は正しいのだと確認するためにも使います。

 

 

受験でも、悩むということに能力と時間のリソースを使い、結果として受験に失敗してしまうということがあります。

人間の能力と時間が有限である限り、何に集中して配分するかの決断はしなくてはなりません。

 

 

私が躁鬱になってから、普通の状態というのはあまりありませんでした。

躁状態でも鬱状態でも大きい決断はするなということが一般に言われていることです。

でも、生きている限り、大きな決断を避けることはできません。

そうした時にできる工夫というのは、記録です。

記録をして、理性で決断すること、相談することが大事です。

私が躁状態になって「かっとんで」いるときには、人の話を聞かないし、不安でもないです。そして、どういう状態か記憶できません。何をしたかはわかっていても、どういう気持ちだったのかわからないのです。

そういうときに記録は役に立ちます。自分が今鬱なのか躁なのかわかる、それが一番大切なことです。

それによって対処法が生まれ、工夫する余地ができます。

 

躁の時にはどうしようもないのですが、前兆に気づいたら慎重に、鬱の時には休み休み、気分の落ち込みをやり過ごすということが大事になります。

 

去年の今頃はどうだったか、おととしはどうだったか、それを分析することによって、自分の波のサイクルがわかります。切り替わったタイミングで何が起きたのか、どんなストレスが負担になっていくのか、そういうことも分かります。

 

今気分が落ち着いているのは薬の影響と、自分で工夫していることと両方があるようです。

薬は、いわゆる「かっ飛んでいる」状況にならないように抑えていてくれるのだそうです。鬱と躁の幅を狭めていてくれるそうです。

一日の中の気分の上下も悩みで、それも病気のせいなのですが、それは、認知を変えていくことで、ある程度やり過ごし方を見つけられると言っていました。

 

前回は、認知を変えると言われたときに、「自分を否定された、今の考え方がダメだから苦しいんだと言われたのだ」と思ったのですが、今日は「認識の仕方を変えたら今よりも楽になるのだからありがたいな」と思いました。

その認識の差も、病気と健全の違いなのだなと思います。

感情に左右されず理性で判断できるようになる

今の主治医に「感情で判断せず理性で判断するように」と言われています。

躁鬱だとそれが難しいのですが、躁の時に判断したことの結果をしりぬぐいするのは鬱の時の自分なのでそうしたいと思います。

 

前の主治医は今の主治医の先輩だったのでやっぱりそのことは言われてました。

その先生に教えてもらったワークで

「デメリットとメリットをそれぞれ右側と左側に書き出し、数で判断する」というものがありました。重要かどうかは〇と◎で区別しますが、数えるときには一つで数えます。

 

重要な判断をするときには欠かさずやっています。

 

簡単なことだとできていませんが例えば「服を買う」だと

メリット

・服を買うとうれしい

デメリット

・お金が減る

・場所が減る

なので、服を買わないという判断になります。それでも買っちゃいますけど、事前にどういうデメリットがあるのか洗い出せるとそのことに対処できます。

お金が減る→どうしようもない

場所が減る→ほかのものを捨てる

 

主治医は、一歩歩くと嫌なことを忘れると決めているような人で、そういうところがかっこいいなと思います。

 

自分の感情をどうするかは、決めることができます。

感情がわいてしまうことはどうしようもないですが、感情にどう対処するかは自分で決められます。

復讐するは我にありと思ったとしても、実際に復讐するかは別の問題です。

感情に任せて決断することは時には重要です。時間がない時には何かを選んでそれがいいものだと信じて突っ走らないと動けませんから。

でも、時間があって、メリットとデメリットを比較できるようなときには、数を比較するといいです。

そのメリットには感情を含めていいです。

そして、もし、どうしても「こちらにしたい」という思いがあったら、そちらの理由を頑張って考えるはずです。それが数の重みになります。

服を買うを例にとると、「どうしても服を買いたい」というときです。

でも、服が買えると嬉しいしか理由が思いつかないならメリットとデメリットは一対二ということになります(それでも買いますが)。

 

こっちになればいいなと強く思っても、それでも理由を絞り出せないときには、やっぱりそれはルールに則ると便利です。

できないことがあると過度に落ち込んでしまう

おととい診察の日でした。

私の今月の問題点は、「自分にとって一番悪い考え方を採用してしまう」ということでした。

特にできないことがあると、もう生きていてはだめだというくらい落ち込みます。

今日も、化学のわからない問題があって自分で自分の頭を殴ってしまいました。

とてもつらい。

家の中の雰囲気は最悪になり、私は家を飛び出しました。

勉強をするたびに、いちいちそうなるととてもたいへんなので、直したいと思います。

 

でも、直すのは、たいへんで、今でさえコントロールしようとしてすごく頑張っているので、さらに頑張るのは無理だとも思います。

 

 

訓練次第で考え方をいくつか自分に提案して、一番自分に甘いものを採用したらよいと言われましたが、そんなのはしたくないのが本音です。

自己憐憫だと言われればそうですが、まず、「お前の認知はゆがんでおり従って考え方もゆがんでいてダメでそれゆえ行動もだめである」と言われている気がするからです。

 

お医者さんに、月間の行動記録を見せたところ「勉強が多いね勉強好きなの?」と言われて、「わからないところがあるから自分はダメだなつらいなと思います」と答えました。私は何か好きなことがあるのかな……。今特に思いつかないな。

昔はあった気がするんだけど……。

わからないことできないことがあると、目の前が真っ暗になって呼吸も苦しくなるしとても不便です。

「自分に不利な考え方を採用しているね」と言われました。

先生からは、

「感情は暴れ馬のようなものだから、それを理屈で制御するように」と言われています。

自分に甘い理屈を採用することで、それに合わせて感情を作るということです。

正直に言えば、そういう風に言われるのも否定されているようでつらいのですが、はっきり言われないと治らないのでしょうがないのかもしれません。

 

自分を否定するようなことばかり考えて、それを採用して、そして悲しくなっているのか、悲しいから自分を否定するような考え方を採用しているのか、どちらだろう?

 

自分は感情の奴隷で感情に振り回されていて、自分の人生を侵食されているなと思います。

感性は自分のものだけど、感情は、強欲な支配者です。

こいつに支配されると手も足も出なくなって、人間関係もぼろくそになる。人生の選択肢も誤るし……。

ただ、これがないと、とっさの危険に反応できなくなるから、全然なくなっても困る。

理屈ばかりでも楽しくはない。

 

 

他にもいろいろ話したのですが、忘れてしまいました。

今月は、頓服をほとんど飲まずに済ませたので、ずいぶんよかったと思います。

また、仕事も増えているけれど、休まずかよえているのもよかったです。

心拍数と疲労の関係

鬱状態が長い。それについて考えてみた。

まず、秋になって一日一日の変化が大きい。
変化の割合が大きいので、それが堪えている。
日照時間や、気温の変化が体を疲れさせて、気分の変調を招いているのだろう。
そのため、室温を一定にするなどの工夫が必要だ。


ラピットサイクルが変化して、ここ3ヶ月ほど鬱が続いている。
日中、夕方にかけて、疲労により、自虐的になって、バカだからだめなのだ、自分は醜くてだめだ、と言い出す。
そういうときは心拍数が跳ね上がっている。
(心拍数の計測はスマートウォッチで行っている)

心拍数の計測がいいのは、精神的な動揺が客観的に把握でき、そのときに、我に返る効果があるからだ。

心拍数があがると、交感神経が刺激されて、カッカしてしまい、自律神経の乱れにつながってしまうそうだ。
リラックスの反対。
そして、疲れる。


疲れて鬱がひどくなり、悲観的になって、それがまた疲労を呼んでいることがわかった。


朝方の方が抑鬱的だが、夕方になると一日の疲れが出て、また悲観的になる。


私は勉強が趣味なのだけど、全然問題が解けなくなってしまい、自分がバカでどうしようもないくずだと感じてしまう。

私は怒りやパニックだけが血圧や心拍数を上げるのだとよそうしていたけれど、そうではなく、悲観的な考え、悲しみ、劣等感も体に大きな負担がかかり、身体的な疲労を呼ぶのだとわかった。


だから、今後、感情的な振り幅がでて、それが苦しかったら、時計で確認して冷静になりたい。


結論ありきで考えると心拍数が上がる

結論ありきで考えていることが多い。ダメだという結論を持っていて、それを支持するために理由を考えているのだ。バカの考え休むに似たり。

それで、「ダメだからダメでダメなんだ」みたいなことをよく言ってしまう。

そういうときには心拍数がとても高い。

普段、50から60くらいなのが、110前後になっていたりする。

泣いているときには、心拍数が135くらいにもなる。子供の世話をしているときも、80くらいなので、やっぱり高い。

だから、動揺しているかどうか、把握するために、スマートウォッチで心拍数を確認する癖がついた。

スマートウォッチを買って、一番面白いのは、自分が動揺しているかどうかを発見できることだ。

私が「目が悪いからもうダメだ」「死んでしまいたい」「何もかもうまくいかないからダメだ」と言っている間、心拍数は強い運動をしているときくらい高い。

だから、私はいつも疲労感を感じているのだろう。

 

心拍数が高いということは、交感神経優位ということだ。それで、昔から自律神経が失調していたようだ。

だから、怒ったり泣いたりしているときには、深く呼吸をして、体のほうから副交感神経を刺激し、ついでに、感情をなだめられたらいいということだった。

 

短気は損気というのは、お医者さんによると、運動をしない人が血圧がバーンと上がって心拍数が高いと、細くなってごみのたまった血管に圧が高くかかるので、そのまま切れてしまい死にやすいということらしい。

自分が起こったり泣いたりという感情の動きは、頭の中でだけ起きているわけじゃなくて、体も関係している。

考えるというのは、感情の好悪が選択するその進路に沿って、結論を選んでいく作業だと私は思っているから、感情が体を左右するなら、体が思考を左右することもありうるんだろう。結構みんな結論を先に決めてそれを支えるために筋道を立てているんだじゃないかと思う。仮説を立てて、それが正しいか検討して、結論を出すのもそういう意味では同じ。

 

睡眠時間が長いということについては、秋になると長く寝るという特性があるのかもしれないとお医者さんは言っていた。冗談かもしれないけど。

 

昔から秋になると二十時間くらい寝る日があったから、そういうものなのかもしれない。

今月は、お金もそこまでは使わず、計画的に楽しいと思える範囲で使えたからよかった。

体重も減り続けている。これは、薬の副作用というより、コンサータを飲むことで覚醒度があがっているため、目覚めるために食べることをしないで済んでいるからだと思う。

 

今月は筋トレはあまりできなかったから、体重の減少が500グラムにとどまったけれど、月にそれだけ減ると年では六キロ減ることになるので、順当だと思う。

 

今月は、あまり心拍数を上げずに過ごしたいと思う。

双極性障害はコントロールできるのか

今回のメモは、

  • 宅建頑張った
  • 鬱っぽくあったが、落ち着いていた
  • 勉強を教えてもらってもキレなくなった

ということを書いていきました。

先生からは、

病識があると勝つと言われました。これを今回のテーマとします。

 

躁鬱のリズム

躁鬱のリズムは、今、二か月ほど、軽い鬱状態です。一日に十二時間ほど寝ていて、過眠ですが、調子は悪くありません。

過眠だから、鬱だとわかります。気分はすっきりしないし、毎日午後には頭痛がしますが、衝動買いしてしまう苦しさに比べたらずっとましです。朝に調子が悪いのも鬱の特徴ですが、それもはっきりしていますね。やや抑鬱のところが、朝だと10です。

f:id:c71:20191023081803j:plain

病識があると勝てる

意思の力でコントロールできるのは、躁状態だと言われていたのですが、今回はうつ状態の過ごし方についてコントロールできると言われました。

躁状態の時には、把握したら、なるべくおとなしくしておくことで、うつ状態の凹みを減らすことをアドバイスされていました。波がさざ波になるように、ということですね。

鬱の時には落ち着いて考えられます。

だから、あきらめて寝るのが病気のためだと言われました。

病識がある人は、ほとんどが躁鬱をコントロールできるようになると先生は言っていました。

先生からやめてほしいことは、つらいけどあえて頑張ることです。

なるべく、エンジンをふかさない、エネルギーの無駄遣いをしない、元気を出さない、元気を出そうと思わないということ。

頑張っても何一つプラスにはならないということです。

躁鬱で大事なのは今自分が躁状態なのか鬱状態なのか把握することですが、それは、睡眠時間が長ければ鬱、短ければ躁と分かります。

慣れてくると、今、唐突に夜中の三時にクッキーや公としているので躁が始まっているな、とか、悲観的にぐじぐじ考えているから鬱だな、体が動きにくいし頭痛がするから鬱だなと分かるようになりつつあります。

何もしない自分がつらい

何もしない自分がつらいのです。

今日も何もしないで終わった、人生の無駄遣いをした、あーあ、とよく思います。

そうしたことを避けるために「頑張ってドラマくらい観よう。そして楽しまなきゃ」と思います。

でも、つらい時には観ないで頑張らないことを指導されました。

ドラマやゲーム、勉強くらいしないと焦りますが、何もしない自分を許して、病気のためのことをしていると考えるようにと言われました。

休憩という大事なことをしているんだ、という風に。

自己否定をしない

何もしない自分はダメだ、というのは自己否定です。

自己否定をいかにしないかが鬱攻略になりそうです。

私は「目が見えづらくなってきたから私の目はもうダメなのかもしれない」「歯が割れたから私の歯はもうダメなのかもしれない」と体の不調についてダメだと結論付けます。

実際にはダメじゃないです。少なくとも歯は、今の状態を維持していたらこれ以上悪くなって抜けることはありません。

(三十代以降の人は、歯周病の検査に行って、歯間ブラシの仕方を指導してもらうべきです。歯周病の治療をしたら、だるさが楽になりました)

これは、「結論がダメだと決まっている思考」なのだそうです。

最初から結論はダメということにしていて、放り込んでいる。

これは考えているうちに入らないそうです。そうですね、最初から結論が決まっていて、それがどういう道筋にしろ、ダメ、と思っているわけだから。

その考え方の癖があるので、それを意識するのがいいんじゃないかなと思いました。

私はつい今よりどんどん悪くなると思う癖があるのですが、「今を維持していたらこれよりは悪くならない」ということを意識しようと思います。これ以上良くするというと難しいけれど、悪くしないように努力すれば、今と同じ状況でいられるはずです。加齢はありますが……。

勉強はメンタルの安定に役に立った

私の鬱状態は三か月続いています。今まで、三日に一度躁鬱の波があったのが、二か月以上のサイクルになったので、これは喜ばしいことです。ラピットサイクルは、改善するのだろうか。今の状態だと改善したとしか思えない……。それとも私が気づいていないだけで、三日に一度のサイクルはあって、それが穏やかになっているのだろうか。

先週まで私は宅建の勉強をしていました。だいたい80時間です。100時間すれば受かると言われている資格なので、落ちても仕方がないなという感じもあります。

自己採点だとぎりぎりダメだったという感じなので、健闘しただけよかったと自分を励ましているところです。資格をすぐに使う予定はなくて、自分の頭が馬鹿でもなく努力できないわけでもなく、普通なのだ、という自信をつけるために努力しました。

その結果、まあまあ頑張れるということと、習慣づけることの力を感じました。

勉強をしている間、あまり、ネガティブになったり、イラついたり、同じことを何度も繰り返し言ったりすることもなく、穏やかに過ごせました。

これは、勉強をする効果があったんじゃないかと思います。

今、私は高校数学の見直しを始めました。また、それが終わったら、英語のリスニングとリーディング、そして、資格試験をまた新たに受けようと思います。その試験は、3000時間から5000時間あれば受かるそうです。高校生が三年間で大体そのくらい勉強しています。だから、三年かければ、受かるかもしれないと思います。受からなくても、精神的な安定につながれば、それでいいんじゃないかと思います。

コンサータ

コンサータはまだ効いています。眠くならないです。また、集中して物事がこなせます。ただ副作用で痩せました。六キロくらいかな。ダイエットをしているからそのせいもあるかもしれません。そうであってほしい。

ラミクタール

ラミクタールは全部で200になりました。

自分では効いていると思っていましたが、先生が「あながち効いていないわけでもないと思う」と言っていたので、「効いている可能性もある」くらいなのかな……。そうだとしたら、気分グラフが平たんなのは私の努力のたまものということになるので、それはそれでいいかなと思いました。

妊娠を考えているのですが、ラミクタールは、妊娠中も比較的使いやすい薬だということで増えました。飲めるなら飲めるほうが、精神的に楽なのでありがたいことです。飲まないのが一番いいんでしょうが、躁鬱が激しくなって死んでしまったら元も子もない。

不穏時は減って、リスペリドンは三日に一度くらいになりましたが、その三日に一度の一日に三包くらい飲むので、やっぱり、30日分出ました。

だいたい、不穏だという前兆が出たら(ぐるぐる思考やイライラ)、飲むようにしていて、効いた感じがするまでは飲んでいます。それで三包。

頭痛がよくあります。前は風邪だと思っていて、パブロンをしょっちゅう飲んでいましたが、パブロン中毒になると困ると言われて止めました。パブロンには依存性があるそうです。

頭痛とだるさ、熱っぽさは、鬱から来ているらしいので、そういう時にあまりつらいときには、リスペリドンを飲んでいます。

抑肝散も毎食出ています。

結論 

鬱状態の時には、衝動買いもしないし、夜中に模様替えもしないし、寝られるのでまあまあ楽です。すっきりした感じはありませんが、ほどほどに暮らせます。

何より、お金を使うと貧乏になって、人生が破滅するので、それが抑えられているのが一番いいです。あの状態が続いていたら、首が回らなくなるところでした。

今月は、ダメという結論ありきで考えない、何もしない自分を否定しないで、休憩するを目標にしたいと思います。

 

躁うつ病はリズムの病気

病院に行ってきました。


 

相談したいことは、

  1. わからないことや勉強を教えてもらうと、死にたくなったり、泣いたり、紙を破ってしまったりして、とにかく大変なことになる。
  2. 朝起きられない。
  3. 過去の行動に恥を感じて苦しい。

今月うまくいったことは、

  1. 死にたくなったりつらくなったりしたら、「保留」にして、先のことを考えない。
  2. ネガティブになっても、気持ちに引っ張られない。ネガティブなことを口にしない。気分転換する。ネガティブなことを言い出すと、止まらなくなってしまって、自分の言っている内容に影響されて行ってしまうから。

 

 

朝を捨てる

鬱期だから、朝起きるのをあきらめる。一回起きたら横になっていること。

無理をして動くと、こじれてしまって、悪化する。

でも、リズムを壊さないために、一度は目を覚まして、顔を洗ってそれから寝るようにする。

朝のラインをきちんとしておけば、一日のリズムが後ろにずれていかない。

だるくて仕方がないのは、頭が覚醒して、体が寝ているという症状だから。

「何年も自信がなくて、自分のことを馬鹿だと思ってしまう」というのは、記憶を書き換えている。ここ半年でも元気いっぱいで自信にあふれていたころはある。

鬱というのは、記憶を書き換えて認識をゆがませてしまう病気だから、いつもこういう考えをしているわけではない。

 

恥を感じることは悪いことではない

恥を感じるほど、前は間違っていたと思うなら、次は改善されている可能性が高いので悪いことじゃない。

恥というのは強い感情なので同じことを繰り返さないで済む。

 

買い物依存症ではないのか

先生からは、買い物依存症ではないと思う、と言われた。

ただ、買い物を楽しみじゃなくて、苦しんでしているなら、依存症のケはある。

でも、治ることだからあまり心配しなくてもいい。

ショッピングを「やりきる」ことを勧めることはできないのが、買い物依存症のつらいところ。生活が破綻してしまうから。

でも、今のところコントロールしつつあるのであまり気にしなくていいと思う、とのこと。

 

頭が悪くても困らない

「頭が悪くて困る。頭が悪いんじゃないかと思う」という話をした。

本当は勉強ができなくなると、パニックになってしまうことを言いたかったんだけど、うまく伝わらなかった。来月の課題とする。

 

私は、賢くなりたいんじゃなくて、勉強ができるようになりたい。のだけど、先生は、私がそうじゃないと思っているみたいに話を聞き間違えてしまった。

自分でもどっちなのかわからなくなって、面白くなってきいてしまった。

 

cleverとwise

偏差値的な頭の良さがclever、賢さがwiseだとしたら、頭の良さには多様性がある。

「ヘルパーさんを見ていると、高校までの人も多いけれど、よく本を読んで専門的だし、家事ができたり思いやったり、とにかくよく気が付くので、頭がいいと思う。偏差値的なことじゃなくて賢いってそういうことだと思う」ということを話した。

 

「人間は共感をすることで反映してきた。動物と人間の脳の違いは前頭葉にあり、前頭葉が共感ややさしさ、共同作業に関する領域をつかさどる」

前頭葉=優しさですか」

「そういってもいいかもしれない。だから、優しいということは前頭葉が活発だということだから、前頭葉というのは人間らしさなので、一番賢いということになるかもしれない。頭の良さには、分野別にいろいろある」

という会話をした。面白かった。

 

それはともあれ来月には、勉強ができないときに、パニックになるということを相談しようと思った。

 

カウンセリング当初の目標について

  • 落ち込まない
  • 思い出さない
  • 探し物をしない
  • イライラしない
  • 過度な片づけをしない

という目標があったのだけど、

落ち込む→気分転換をする

思い出さない→思い出してしまうけれど思考を追いかけないようにする。具体的には冷たいシャワーを浴びたり、軽く体を動かしたり、テレビを見たりと娯楽をしてみる。

探し物をしない→財布や腕時計がどこかに行くとパニックになってしまうので、置き場所を決めた。枕もとの壁にウォールポケットを付けて、こまごまとしたものはそこに入れるようにした。その結果、なくさなくなって、探すこと自体を避けられるようになった。

 

イライラしない→大まかにできるようになった。イライラの前兆に気が付いて、事前に薬を飲めるようになった。ただ、前述の「わからないことを教えてもらう」ときにパニックになってしまうのはまだ解決していない。

 

過度な片付け→これも、イライラと同じで、片付けをしたいと思い始めたら、事前に薬を飲むようにしてから収まってきた。

 

 

病気のことをブログに書くか

文章にするのは勧めない、とカウンセラーさんに言われてしまった。これは、聞かなかったらよかったなあと思った。

文章にするのはいいけれど、ブログにするといろいろな人に見られて、いろいろなことを言われるのが悪影響になるかもしれない。これはその通りだと思った。

でも趣味だということと、張り合いになっていることもあるから、やめたくないなと思う。

 

許可を得ようと思わないほうがいい。自立した大人だから、何でもかんでも許可を求めようとするのは悪い癖だ。

したいことをするべきだ。そして、その結果は自分で受け止めるしかないんだからそれで十分だ。

 

 

昨日は、mol濃度とPHの計算のことが分からなくて夫に聞いているうちに、混乱して泣いてしまった。泣いただけじゃなくて、紙をびりびりにしたり過呼吸になりかかってしまったりした。

自分が馬鹿だとばれたら見捨てられるんじゃないか、馬鹿にされるんじゃないか、怒られるんじゃないかと思う。

それは、昔そういうことがあったのかもしれない。

「これ、前も同じ問題があったでしょう。なんでできないの?努力が足りないからだよね。頑張ればできるのにできないのは頑張ってないからだよ。これは頑張ればできることでしょ。頑張ってもできないわけじゃないでしょ。ということは努力が足りないんだよ」と言われたんだと思う。今そういうセリフが脳裏によぎった。

 

結論

今鬱だけど、しのげそうだから、落ち着いている部類。重症じゃない。

これは薬が効いて穏やかになっている状態だから、このまま緩やかに乗り越えていこう、という話だった。

 

今月の目標は、自信を持つことと、勉強をしているときに、わからないことがあるからといって、自分を馬鹿だとか頭が悪いだとか言わないようにすること。思うだけでも迷惑をかけているし死んじゃいたくなるなあ。つらい……。保留保留。

 

保留や棚上げにしておくうちに、わけがわからなくなって、どうでもよくなって忘れてしまうようにすることが大事らしい。